6年前、母親が死んだ。その日の早朝。私は何故かいままで感じたことのない思いに動かされ、奇妙な時を過ごしていた。上野に行きたい。関東に来て、はや20年以上が過ぎていたが、あえてそんな感覚に動かされた記憶はない。半ば自動的に地下鉄に乗り、いつのまにか上野にいた。
朝の上野公園。人影はまばらであった。西郷隆盛像とはどんなものか?中学生の時に、修学旅行で行った気がする。しかし、ほとんど記憶にない。大学入学以降、東京に来てから一度も行ったことがなかった。通りすがり、彰義隊の碑があった。なるほど、そういう場所なんだな。思いながら西郷像の前へ。ベンチに座りながら、しばらくぼーと西郷像の前に佇んでいた。
「どうしてオレはこんなところにいるんだろう」
そう思いながら、、、。
突然電話が来た。
「逗子警察署ですが。○○さんですか?」
「はい」
「お母さんが危篤で横須賀の○○病院に急送されました。お父さんもそこにいますのですぐに向かってください。」
「。。。。。」
父親はパニック状態で、私の連絡先もわからない。警察に、息子に連絡してくれと頼んだらしい。緊急連絡先に私の携帯番号が登録されていたのである。
家で倒れて二日後に母は逝った。さっぱりと、あっけないほどに。いかにも彼女の性格に相応しい最期であった。私が病院に着いた時、既に意識はなく、かろうじて機械的に心臓が動かされていたにすぎない状態であった。
母の死後、昼食をとるため、横須賀中央駅までひとり歩いた。誰もいない寂れた居酒屋。外には雨が降っていた。
いかにも横須賀の街らしい、昭和の歌謡曲が店内に流れている。イルカという昔の歌手の歌う歌が流れていた。
化粧する君の その背中がとっても 小さく見えて 仕方ないから
僕はまだ君を 愛しているんだろう そんなことふと 思いながら
窓の外は雨 雨が降ってる 物語の終わりに こんな雨の日
似合いすぎてる
誰もが物語 その1ページには 胸はずませて 入ってゆく
僕の部屋のドアに 書かれていたはずさ とても悲しい 物語だと
窓の外は雨 雨が降ってる いくすじもの雨が
君の心の くもりガラスに
母親の人生がショートフィルムのように私の中を通り過ぎた。歌声が母親のささやきに聞こえた。聴いているうちに涙が溢れてきた。真昼間から、誰もいない居酒屋でひとり涙に濡れる私を、女性の店員がいぶかしげに見つめていた。
私と父の唯一の仲介役。彼女なしに私と父はどうやって関わっていくのだろう。取り残された父と私。父の青春時代の、もしくは彼の人生の全てを賭けた、横須賀の地。そして母親の終焉の地。そこに移ろうと決心し、逗子からこの地に来た。
不思議なことに、母親死後の1年間。私と父は人生で唯一仲の良い友達のように楽しく暮した。旨いものを食い、旅行に行った。あの一年がなければ、私は父への確執を拭い去ることはできなかったであろう。父は母の死後、人が変わったように生身の姿を私に見せた。人は大切な人を失うとこうも変わるものなのか。全く別人であった。全てを投げ出した、自然体の父親があった。
生前母親は私に言ったことがある。
「アンタのことで言い争うことがなければ、やさしくて良いところのある人なんだよ」
母親は知っていたのだろう。生身の父親の優しさを。しかし、私には全く無縁の世界であった。三人が絡まなければ自然体になれる。そういう親子関係、人間関係がある。
母親死後の、父との楽しいひととき。しかし、やがて認知症が彼を襲った。
母親の葬儀が終わった時。父は私に向かって言った。
「おい。オレは半年か1年以内に確実にボケる。今のうちにはっきり言っておく。だからその時はよろしく頼むな。」
言ったまま確実にボケた。父と私の「蜜月」はわずか1年たらずで終了した。
横須賀は三浦半島にあるが、鎌倉や逗子と違い、肩肘張らず、気取りのないリラックスした土地柄。飲み屋に行けばすぐになじみになれる気楽な土地柄。恵まれた庶民の生活。米軍や自衛隊など公務員が多く、他の地方に比べればはるかに安定した地方都市。ところが、飲み屋に行くとどこの主人も決まって、
「横須賀はもうダメだ。景気悪くてどうしようもない。」
私が、他の地方に比べ、米軍や自衛隊など景気に左右されにくく、人口も40万を越え、昼間でも街に多くの人が行き交う横須賀は、相当恵まれているのだと力説しても、彼等は納得しなかった。
そのくせ地元意識は強い。東京のヨドバシカメラで商品見ても、結局地元の汚くて潰れそうな小さな電気屋で買うのだという。だから、今でも昭和の香りのする店が多く残っている。
男性は小泉純一郎や上地雄輔みたいな、話をしてみると軽妙で気さくなタイプの人が多く、女性も話をしてみると人なつっこく、さっぱり自然体の気質で、何故か足が長く芸能人型で男好きのするタイプが多い。足が長いのは歴史的に海外との交流が深いからなのか。港港に女あり、とはよく言われる諺である。
父と母の接点の場所横須賀で生きてきた自分も、もういい加減年をとった。このまま思い出にひたりながら人生を送るのも良いだろう、、、。
私は横須賀を離れることになった。愛すべき横須賀を。

