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鎌倉幕府創設に深く関わる中村党から東日本を思う~黒澤明監督のこと

平成25年6月23日 日本史
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮
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中村党は、平治の乱で敗れた源氏一党が壊滅状態の中、わずかに一命をとりとめた頼朝が伊豆へ配流以降、幕府創設まで頼朝を助けた一党である。幽閉状態にあった頼朝が政子と暮す北条氏の拠点、韮山から石橋山へと挙兵の狼煙を挙げた時、対する平氏軍に散らされ、わずか数騎の手勢で土肥の山中に逃れた。その時、土肥郷(現在の湯河原市一帯)を治めていた中村党の支族土肥二郎実平の案内で、平氏軍の追手の届くことができない場所、奥山の洞窟「しとどの窟」へ身を潜めた。実平の助けがなければ、徳川幕府まで続く日本史の武家政治の歴史はなかった。

土肥実平は、相州一帯を治めた中村党の祖、中村庄司宗平の二男である。中村党とは、宗平の息子、中村氏、土肥氏、土屋氏、二宮氏、及び小早川氏の五氏を言う。小早川氏は、中国地方で瀬戸内水軍を束ね、戦国期に毛利氏と婚姻関係を結んだ小早川氏の先祖にあたる。

上記五氏の他、北条、三浦、伊東、工藤、曽我(曽我兄弟で知られる)、千葉の各氏は全て桓武平氏を名乗っており、お互いに婚姻などを重ね密接に繋がる同族であり、相模から房総にいたる広範な地域を拠点とした。平安末期以前、平将門の同族及びその後に西国から流れてきた平氏一族と何らかの婚姻関係が起こり、平氏を名乗るようになったものと推察される。

中村党の中村氏、土肥氏、土屋氏らは、鎌倉幕府創設に至る全ての戦乱に参加しその主軸として活躍した。

神奈川県二宮町に、川匂神社という神社がある。相模国の二宮で、一宮寒川神社に次ぐ社格を持つ。川匂神社についての記載をHPより転載する。

その創建は大和朝廷が余綾・足柄両郡の地を師長国とした時代、第11代垂仁天皇の勅命を奉じて創られたと伝えられる(実際には、創祀は早くとも成務朝か)。中村荘司一族からは、二宮氏も出ており、宗平の子の二宮四郎友平(その子七郎友忠は曽我兄弟の姉を妻とする)から始まるとされ、二宮友平の四世孫には河勾四郎左衛門尉資忠も見えるから、この点からも古族後裔が傍証される。川勾神社の祭神はもとは級津彦命・級津姫命(シナツヒコ・シナツヒメ)とみられ、磯長の国を御開拓された神だと伝えるが、この夫婦神は風の神であり、鍛冶部族の神であった。磯長は「息長」と同義であって、川勾神社の地が『和名抄』の余綾郡磯長郷であり、その隣に中村郷がおかれた。

 磯長国造は鍛冶神天目一箇命の後裔で、建許呂命の子の意富鷲意弥命(大鷲臣命)が成務朝に任じられたのが初祖という系譜をもつから、風神はそれに相応しい祭神といえよう。川勾神社の西側を流れる押切川(中村川ともいい、「川勾」の地名は同川の川曲に因む)の対岸の地域が現在、小田原市大字中村原という地名で残っており、これが中村庄の遺名地であって、この辺りから現中井町一帯にかけての地域が『和名抄』の中村郷の後身として中村庄がおかれたとみられる(『神奈川県史』通史編 1は、小田原市小竹の「殿ノ窪」と呼ばれる地に中村宗平以来の居館跡を想定)。 

以上、HPより

これらの記述からみて、中村党及びその関係氏族の源流は、桓武平氏を名乗る以前から、この地に住ししており、師長国造(磯長国造とも)、相武国造など、古代の国造家の地を引く古代古族の末裔であるとする説がある。また、現在の川匂神社の宮司家二見氏(現三十九代目)は二宮氏の後裔とされる。 

Wikiより、師長国造を見てみると、

師長国造(しながのくにのみやつこ・しながこくぞう)は相模国西部を支配した国造。磯長国造ともいう。祖先は、天津彦根命の14世の子孫である建許呂命の子、意富鷲意弥命が、成務天皇朝に師長国造に任じられたのに始まるという。高市県主・茨城国造・三枝氏などと同系。氏族は中村氏。本拠地、相模国余綾郡磯長郷。現在の神奈川県大磯町。氏神は不明だが、同地域の古社としては川勾神社がある。

となっており、中村氏が師長国造の末裔であることを示唆しているように思われる。

この他、中村宗平の祖祖父にあたるとされる山辺禅師頼尊(平忠頼の子。平経貞とも)は、知々夫国造の後裔とする説がある。秩父地方には中村という地名がある。同地域にも何らかの関連性があるかもしれない。

頼朝が鎌倉幕府を創設するにいたったのは、中村党を始めとする、関東武士団の力による。頼朝の後、頼家、実朝の代における源氏嫡流の悲劇的な末路。そして、その後の幕府が実質これら関東武士団の諸勢力により統治されたことは興味深い。鎌倉期における源氏政権としての実質は短く、源氏の血脈は以降足利尊氏の出現まで息を潜めることになる。

鎌倉幕府三代将軍源実朝殺害にいたるまでの、鎌倉御家人達の血なまぐさい抗争の歴史を見ているうちに、この激しく原初的なエネルギーの源泉はどこにあるのかと考えるようになった。その鍵は東北地方及びさらに北方から流れる血なのではないか。あくまでも直感的考察であるがそう感じた。

鎌倉時代とは、西方からの権力と、東北方からくるエネルギーの結節点だったのではないだろうか。

日本という国の権力が西から東へしだいに領域を拡げてゆく過程で、その結節点に、その地域の祖霊を祀る施設を建設した。西に出雲大社があるように、東にもその土地に深く関連する祖霊を祀る施設があるのであろうか。東北方面にそれらを明らかに祀る神社が見当たらない気がするのである。

東北人やアイヌ。それらの血を受け継ぐ人々の思いを吸収する場所は今現在この国の何処にあるのだろうか?

以下は追記のようなもの。

話はズレるが、黒澤明の映画に「デルスウザーラ」という作品がある。黒澤明は、俗な言い方ではあるが、私の最も尊敬する映画監督の一人だ。監督の作品はほとんど見ている。彼の作品を見ていつも感じるのは、日本人的ではない大陸的なスケール感、価値観が流れていることである。

上記中村氏を調べているうちに、何故か黒澤氏のことが気になり、彼のプロフィールを調べてみた。

以下wikiより

1910年(明治43年)、東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)の日本体育会(現在の日本体育大学)敷地内において生まれた。4男4女の末っ子であり、父親は秋田県中仙町(現在の大仙市)出身の元軍人で、体育教師をしていた。一方黒澤自身は後年、親しい仲間には自分が秋田に生まれ、幼少時に東京に引っ越してきたと語っていた。

黒田小学校(文京区立第五中学校の前身)を経て、東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)を受験するも失敗。1928年(昭和3年)に京華中学校を卒業した。幼少期には活動弁士であった実兄・須田貞明(1933年に伊豆湯ヶ島落合楼にて愛人と心中)と、小学校時代の恩師・立川精治から強い薫陶を受け、また終生の友となる脚本家・植草圭之助とは小学校の同級生として出会った。中学生時代には、ドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフなどのロシア文学を読みふけり、人生観、倫理観の形成に多大な影響を受けた。

初め画家となることを志した黒澤は、旧制中学卒業後に美術学校(現・東京藝術大学美術学部)の受験に失敗し、川端画学校に学んだこともある。また、日本大学芸術学部で丹下健三と一緒だったとする資料もある。のち、日本プロレタリア美術家同盟に参加。洋画家・岡本唐貴(白土三平の実父)に絵を教わり、二科展にも入選している。当時黒澤は、ミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなど、ルネッサンス美術の絵画や彫刻に心酔していたという。 

以上wiki

「デルスウザーラ」は、当時のソビエト政府に招かれ、シベリア地方において撮影された。シベリア地方の原住民とロシア人との交流を描いている。

黒澤明氏は、その世代にしては、恐ろしく長身で190cm近くあった。彼の先祖は秋田県らしい。秋田県、黒澤で、調べてみたところ、現在の秋田市、久保田藩(佐竹氏)重臣の黒澤家というのがみつかった。同族かもしれない。

久保田藩の領地を見てみると、

出羽国(羽後国)
秋田郡 – 286村
河辺郡 – 59村
仙北郡 – 181村
平鹿郡 – 115村
山本郡 – 59村
雄勝郡のうち – 55村
下野国
都賀郡のうち – 3村
河内郡のうち – 8村
西蝦夷地(天塩国)
マシケ場所(増毛郡、1867年まで。開拓使直轄領に編入)
西蝦夷地(北見国、1867年まで。いずれも開拓使直轄領に編入)
リイシリ場所(利尻郡)
リイシリ場所(礼文郡)
ソウヤ場所の大部分(宗谷郡のうち宗谷岬周辺のサンナイを除く地域)

かなり広範である。秋田県人には、ロシア人のDNAが入っているという。黒澤氏にもそんな血脈が含まれているのかもしれない。

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