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安徳天皇の行方

平成25年7月4日 日本史
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安徳天皇と言えば、壇ノ浦で、源氏軍に敗れた平家一門とともに、海中に没したとされているが、いくつかの面白い生存説がある。いつの世にもかならずこういった生存説はあるものだが。それなりに説得力のある説、ロマンあふれる説を2つサイト上から紹介する。

(1)宇佐八幡宮司家に伝わるかなり信憑性のある説

宇佐氏は代々一子相伝で『口伝書』と『備忘録』を受け継いできました。

故・宇佐公康氏は宇佐宗家として兄弟もおらず、最後に残った男系で、自分の死とともに『口伝書』等の内容が歴史の闇に埋もれてしまうことを惜しまれて、公表に至ったのでした。

彼の著書『古伝が語る古代史』には邪馬台国の昔からの日本の歴史について分析してあり、日本史全般を漁ってきた私には大変興味深いものとなっています。

宇佐神宮といえば、まず浮かぶのは称徳(孝謙)天皇の道鏡への禅譲の神託事件ですが、その後の歴史でも度々名が見えます。

源平時代もそのひとつで、今日まで黙してきた一族の秘伝がここに明るみになったのです。

さて、源平時代の大宮司・宇佐公通の妻は平清盛の女で、安徳天皇の母・徳子と姉妹にあたります。ですから、彼の息子の公仲は安徳天皇の従兄弟というわけです。

いよいよ壇ノ浦の決戦を前にした平家は安徳天皇と容姿の似ていた公仲をすりかえたというのです。そして、平家滅亡のその時、公仲は安徳帝として海に沈み、安徳帝本人は公仲として天寿を全うしたといいます。

(ブログ『中将の君のひとりごと』より)

この説は、以前から知っていた、というより、この書籍を持っている。宇佐神宮という非常に由緒正しい神社の宮司の宗家に伝わる話であるだけにかなり信憑性があるのではないかと思う。このブログでも書かれているが、そもそもこの宮司家が嘘をつく理由はあまりないからである。

そして、最近知ったもうひとつの面白い説

(2)沖縄の王族には、平家、安徳天皇の血統が受け継がれている説

歴史的な史実、1187年に即位をした琉球国王舜天王は、源為朝と大里按司の妹の間に生まれた子であると羽地朝秀の書いた「中山世鑑」に引き継がれてきたのが史実とされております。

 沖縄本島には平家は上陸していないとも言われておりますが、しかし本島の各地に「平良」の名字や平家の武将であった「羽地」の名字、地名、河川名等、すなわちそういったところを取り上げてみますと、屋我地の「平良田」とか大宜味村の「平良川」、そして東村の「平良川」、「平良区」、具志川市の「平良川」、そして読谷山の「平良」、首里の「平良」、豊見城の「平良」、そして西原の「平良」、八重山、そして宮古の「平良」、含めてそういったところからいたしますと、私はあの700数十年前に「おもろさうし」にも大和、山城の軍勢が運天港に入ってきた事実は知られているわけでございまして、「おもろさうし」にも

   勢理客ののろの  あけしののろの
   雨くれ 降ろちへ  鎧 濡らちへ
   運天 着けて  小港 着けて
   嘉津宇嶽 下がる  雨くれ 降ろちへ
   鎧 濡らちへ  大和の軍 山城の軍

ということで歌って、羽地内海、つまり旧羽地村の平良村に城を築き上げまして、浦添、首里へ上がっていったというのがしるされているわけでございます。

 壇ノ浦の戦いで破れて二位尼に抱かれて入水をしたと言われておりますが、あの安徳天皇が果たして、幼くして1人を見殺しにされてそのまま平家の武将羽地が大勢の武将を引き連れて沖縄にやってくるのがあの当時の縦割り社会からすると、私は不可能に近かったということを思っているわけでございます。

 そうしますと、源為朝が伝説というふうになりますと、私はあの平家の武将の一大中心人物が安徳天皇であることが最も妥当性があるように思われるわけでありまして、そういったところを羽地朝秀たる賢明な侍がなぜこれを源為朝説を正史に取り上げたかということが一つの大きな問題であるわけでございます。

 これは、一つに言われるのは、島津藩ではその始祖忠久は源家を継いだ親戚筋であったということ、そして首里の貴族階級が平家の色に染まっていたことからもわかりますように、おのれを含めた琉球王族は南走平家であることを隠すためであっただろうということでございます。

(『沖縄県議会 定例会 上原吉二氏の発言より』)

これは、安徳天皇というよりも平家の落人が、沖縄まで到達していたであろうという説に加えて、ならば、安徳天皇も、というところへ話を重ねている。

大変面白い説である。安徳天皇まで入れてしまうとかなり強引と言えば、強引かもしれない。しかし、あり得ない話ではない。少なくとも、平家落人居住説は、沖縄にもあったし琉球の王族には平家の血が流れている、というのも興味深い。

(この説の根拠となる前説は今探しています)

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