以前、西早稲田の水稲荷神社について書いた。西早稲田から雑司ヶ谷、あるは、東池袋あたりまでの一帯は、徳川家康入府以前からの数々の史蹟、神社等が林立する。雑司ヶ谷の鬼子母神もそうである。雑司ヶ谷の鬼子母神とは、室町時代に目白台の付近で、井戸から鬼子母神像が発見され、お祀りされたことを始めとする。
それより南の西早稲田に水稲荷神社という神社がある。まるで時空が停滞しており、戦前の空気がそのまま滞留しているのである。
今回は二度目の訪問参拝となる。前回は見落としていたが、ここには『平和の碑』なるものがある。書は佐藤栄作とある。この碑中には、先の大東亜戦争にて、散華した新宿区民及び、早稲田大学の学徒動員のおよそ四千柱がお祀りされているという。驚くべきことである。護国神社でもないこの古くからの稲荷社にそれほどの英霊がお祀りされているとは。そんな場所が他にあるのであろうか。
この場所は近隣の住民が日々大切にしている神社ではあるが、ほとんど人知れず時の流れを忘れたまま放置されているのである。どれほどの新宿区民がこの神社を参拝しているのであろうか。
水稲荷神社は、平将門の追討を命じられた、藤原秀郷(俵藤太)によって、稲荷社が勧請され、富塚稲荷とされたが、江戸時代に水が湧き、以降水稲荷と呼ばれるようになったのだと言う。江戸時代(1788年‐天明8年)、京都御所に大火があったが、その際、水稲荷が活躍したのだという。その功績を認められ、「関東稲荷総領職」を賜った、とある。
境内には、太田道灌が訪れた際に馬を止めた松(宮司にお聞きしたところ、この木は三代目だそうです)もある。宮司の話によると、この神社は元早稲田大学の敷地内にあったのだそうだが、この地に全て移築されたそうだ。
Googleで検索してみると、江戸時代に平将門に由来する神社が7つ建設されたとか。水稲荷神社は将門調伏の神社とされている。
1) 鳥越神社・・・将門の首がこの地を飛び越えたという伝説。
2)兜神社・・・・俵藤太が将門の兜を埋めたという伝説。
3)首塚・・・・・将門の首塚。
4)神田明神・・・将門の首が祀られている。
5)筑土八幡神社・この神社の隣の津久戸明神が将門の首を祀る。
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6)水稲荷神社・・将門調伏のための神社
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7)鎧神社・・・・将門の鎧(胴衣)を祀っている
8)鬼王神社・・・幼い将門を祀る
将門を追討した藤原秀郷が勧請した水稲荷(富塚稲荷)は、やはり将門所縁の神社であるようだ。
将門調伏の神社は、大東亜戦争における新宿区民、及び学徒動員で散った早稲田大学生の魂をも抱えたまま、人知れずひっそりと、しかし新宿区の裏中心地として、人知れず叫び声を挙げつつ留まっているのである。





