
これから記載する内容は、一つ一つのテーマだけでも何冊かの本になるくらいの内容を含んでいる。今回できるだけ短くしたが、本来はもっと詳細に研究が必要な項目である。
ヨーロッパの記憶 昨日、あるルーマニア人を接待することになり、二人で数時間さまざまなことを話した。彼は、日本へ初めて来た。食事中、彼は私に質問してきた。
「日本には複数の民族がいるのか?」 私はどうしてそう思うのかと聞いた。 「不思議だ。この国の人の顔を見ているとさまざまな種類の顔がある。」
私は、はっきりと分かってはいないが、恐らく古代に複数の民族が混じっているのだと思うと語った。
そして、幕末に日本へ来た一人のヨーロッパ人(ノーマンマクレオド)が、日本の街を歩いていると、江戸の街中にユダヤ人がたくさんいるのはどういうわけかと不思議に思い、そのことを詳細な絵を伴う一冊の書籍に記したこを話した。
もう十年程前になるが、ハンガリーの首都ブダペストに行った。夜になると、ブダ地区とペスト地区を二分するドナウ川に架かるセーチェーニ鎖橋が、柔らかなオレンジ色に照らされ、美しくも哀しげな風情を醸し出していた。
ペスト地区の旧市街に、ユダヤ人街がある。厳密に言うと、“あった“と言うほうが正しい。戦後流出し、今ではそれほど多くのユダヤ人はいないようであった。そこに歴史的なユダヤ教のシナゴーグがある。このシナゴーグは世界で2番目に大きなものである。まず門に入ろうとすると、頭上の真ん中に菊の紋章が刻印されていた。それほど印象的なものではなかった。
以前からユダヤと日本の神道や天皇家とのつながりを示す、書籍などを読んだことがあったので、なるほど、これがその一端なのだな。緩やかな感慨があった程度である。
しかし、本堂に入り、正面の祭壇を目にした時、私の体内に明確な衝撃が走った。本堂の両脇に、金縁で蝦茶色のビロードの布地の真ん中に金色の菊の紋章が縫い込まれた。それは正しく錦の御旗であった。それが立て掛けられていた。そのデザイン、形状は、天皇家の家紋以外の何物でもなかった。
寸分違わないのである。私はあまりの驚きに、興奮し、思わず、教会内にいる職員らしき老婆に聞いた。
「あの紋章にはどんな意味があるのですか?」
「それは分からない。しかし、昔から象徴的に使用されているものだ。」
「私は日本人です。あれは、日本のエンペラーのファミリーシンボルと全く同じです。」
そう言うと、私は自分のパスポートをその老婆に見せた。彼女はそれをしばらくじっと見つめると、 「確かに全く同じだ。しかも16枚ある。」 16枚とは花弁の数のことである。
彼女は言い終わると私の顔をじっと見つめ、実に不思議なことがあるものだという風な顔をした。そして最後に、何やら親し気な微笑を浮かべて見せた。
これまで、エルサレムの神殿の城壁にある菊花紋などは書籍で見ていた。それは確かに菊の紋章のようであるけれど、デザイン、形状など寸分違わぬというほどのものではない。
しかし、このシナゴーグで見た菊の紋章は、天皇家の、あるいは神社の鳥居や神殿正面や瓦などに刻印されているものと100%同一形状であった。立体的な形状も全く同じ、色も同じなのである。 伊勢神宮の参道灯篭にダビデの紋章が刻印されていることは有名である。
これ以外にも、日本の神道などからの風習とユダヤの風習の共通性(かつ他では見られない)を示す著名なものとして、
日本の神殿と古代ユダヤの神殿の形状はほぼ同じであること
神輿の形状が、旧約聖書内に記載されている、移動式神殿(聖櫃―アーク)とほぼ同じであること
神殿に入る際に、手水のようなものがあり、水で自身を清める風習はユダヤ教と神道以外にはないこと
塩を清めのために使用する習慣。入口の両脇に盛るなどのこと
伊勢神宮暦は、ヘブライ暦(ユダヤ暦)と一致していること
祇園祭が旧約聖書に記載されていることと同様の意味を持っていること
正月元日を最大の祝祭日としていること
修験者の装束がユダヤ教徒の祝祭時の装束に酷似している部分があること
など、単に今思いだしたものだけを挙げたが、これ以外にも共通項は枚挙に暇がない。しかし、私の経験として、ブダペストのシナゴーグ祭壇内に立て掛けられていた「錦の御旗」以上に衝撃を受けたものはない。
アミシャーブ 失われた10支族という言葉がある。Wikiにそれに至る歴史が簡単に記されている。
『聖書』によると、族長アブラハム(紀元前17世紀?)がメソポタミアのウルの地からカナンの地を目指して出発したことによりイスラエルの歴史がはじまる。
孫のヤコブ(ヤアコブ)の時代にエジプトに移住するが、子孫はやがてエジプト人の奴隷となる。奴隷の時代が400年程続いた後にモーセ(モーゼ)が民族をエジプトから連れ出し(紀元前13世紀?)、シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。200年程かけて一帯を征服して行く。
ダビデ王(紀元前1004年?‐紀元前965年?)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。しかし、ソロモン王(紀元前965年?‐紀元前930年?)の死後、南北に分裂し、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。
北王国では首都サマリヤやその他の地に金の子牛の像をおいて祭祀の中心としていた。北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされ、10支族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された。この10支族の行方が文書に残されていないため、2部族によって「失われた10支族」と呼ばれた。
以上wikiより。
アミシャーブとは、この失われた10支族を探し出し、特定するイスラエルの国家を挙げてのプロジェクトを推進する機関のことである。日本では、「ムー」など、マニアックな人間しか読まないような本でしか紹介されないような、おとぎ話のような話でしかない。
しかし、イスラエルではこれが大真面目な国家プロジェクトとして扱われている。彼等のこれまでの調査結果を記した書籍を持っているが、残念ながら今手許にない。
Wikiによると、 西アフリカ―セネガル、ガンビア、シエラレオネ、ナイジェリア 南アフリカ―レンバ(ボツワナ) 西アジア―パタン人(アフガニスタン、パキスタン) 中央/南アジア―カナン人(インド)、カシミール人、チベット 東アジアーメナシェ族(ミャンマー)、チアン・ミン族(中国)、日本 南米-ブネイ・モーシェ(ペルー)
アミシャーブは、これらの特定地の中で最も重視しているのは日本であるという。それはある意味当然のことだ。その流れを含む文明を最も明瞭な形で残しているところはどこか、と言えば上記地域において、日本以外にはあり得ないからだ。
彼等は、失われた10支族の最終的な到着点を日本としてほぼ特定しつつあるという。そう遠くない将来にその見解が公の下に発表されるのではないだろうか。 日本人のY染色体の不思議 DNAの話になる。専門的な話になるので、こちらも以下wikiの記載を引用する。
Y染色体のDNA塩基配列の国際的分類法(YCC2002)によるAからRまでの18種の大分類のうち、Alu配列と呼ばれる約300個の特定の塩基配列(YAP+因子)を持つのはDグループとEグループのみであり、DグループとEグループはおよそ5万年前に分化した近縁グループである。
そのうち、Dグループが相当な頻度で存在するのは日本とチベット、インド洋のアンダマン諸島のみである(日本で30~40%、アイヌと沖縄ではさらに頻度が高く、チベットでは約30~50%)。他方、Eグループが相当な頻度で存在するのはアフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてのみである。
つまり、Y染色体にAlu配列(YAP+因子)を持つ者が相当頻度で存在する地域は、アフリカと地中海沿いの中東からイタリア南端にかけてとチベットと日本のみであり、日本人のY染色体の30~40%については、DNA塩基配列が近縁関係にあるものは周辺国等にほとんどなく、チベットやアフリカや中東のY染色体と近縁関係にある。
なお北アフリカでのEグループの存在率は約75%、エチオピアのユダヤ人とされる集団でのEグループの存在率は約50%とされている(崎谷『DNAが解き明かす日本人の系譜』勉誠出版)。
また、AからRまでのグループについて、アフリカ系のAB以外を大きく分けるとCグループ、DEグループ、FRグループ(FからRにかけてのグループ)に分けられるが、日本人ではC,D,O(OはFRグループに属する)で成り立っており、Cグループ、DEグループ、FRグループの非アフリカ系3大グループすべてを含む地域は世界中で日本しかないとされている。
以上wikiより
要点を書けば、Y染色体のDNA塩基配列の国際的分類法による18種の分類法のうち、日本人とチベット人とインド洋のアンダマン諸島にだけ、相当な頻度で存在する配列のグループを持つ人々がおり、その配列は、北アフリカ、特にユダヤ人が最も多くもつ配列のグループと同族であり、これは他のアジアの地域には見られない、日本(とチベット)のみにしか見られない特徴である、ということである。
上記ではそれ以上に特徴的な日本人のDNA配列グループの構成が記載されている。(非アフリカ系の配列グループ全てを含むのは世界で日本しかない)
これ以外にも、日本人とユダヤ人の男性Y染色体の大きさは同じであることが、パリ大学の教授によって発見された、という。
これは、他には見られない現象だという。 DNAの分野からも、日本人とユダヤ人の類似性は証明されているというわけである。
ユダヤ人とユダヤ教。それは、現代の西洋キリスト教文明の大本であり、天皇と神道が、その文明と密接な関連を持ち、かつその流れをくむものだとすれば、その民族と祭祀と祭祀王とを有する日本という国は、アジアの中で唯一西洋の血脈を受け継いだ文化文明を有する極めて特異な国家であるということが言えるのではないだろうか。
1996年、アメリカの政治学者サミュエルハンチントンは、「文明の衝突」という著作を発表した。その中で彼は世界をいくつかの大きな文明圏に分類している。その中で唯一奇妙な分類をされた国が一国ある。日本である。
日本は中華文明ではなく、日本一国の独立した文明圏として分類された。アジアの中にあって、常に特殊な位置を占めてきた理由は、もしかしたら、日本一国のみが別の文明圏にいること、であるからなのかもしれない。
日本は神道文明圏なのである。
これまで、歴史的に孤立する傾向にあった。しかし、日本は決して孤立した文明圏にいたわけではない。 今回は、日本という国家が持つ、西洋キリスト教文明の根源に繋がる流れを持っているであろう話。そして最近、私はもうひとつ重要な要素があることに気づいた。それを次回記載したい。
(写真:エルサレム「嘆きの壁」)
