
これから文章を書くにあたりまず言っておきたいことは、私は全く反米主義者ではない。むしろ彼等は、彼等の立場から実に上手くやっていると思っている。
彼等は優秀であり、共に歩む相手としては今のところ最善であると思っている。問題の核心は日本人にある。これは私の戦後政治解釈における基本的なスタンスである。
自主憲法制定などというと、昭和期までは、街宣右翼がけたたましく叫び声を挙げる以外は、禁句に近い言葉で、ある種アンダーグラウンドな匂いが漂っていた。
しかし、昭和の20-30年代までは、自民党から共産党まで自主憲法制定を掲げている時期があったのである。何せ自民党結党時の党是は自主憲法制定だったのであるから。(今でもそうだが)
日本国憲法は、第二次世界大戦敗戦後、進駐軍最高司令官ダグラスマッカーサーの指揮の下、彼の部下数名が2ー3週間で書き上げた英文憲法である。
一説によると和訳に誤訳すらあるという。占領軍たる米軍すなわち米国は、日本が米国に対して二度と牙を剥くことがないよう、日本を保護国化する政策を進めた。占領軍の立場からしてみればある意味当然の政策であるとも言える。
教育制度、メディア統制も同様である。 戦後のリベラル派には、憲法第九条を金科玉条のように敬い尊崇している者がいるが、第九条は日本が再び米国などの連合国諸国と対等、互角に対抗する勢力とならないよう楔を打ち込むために考案された占領政策の一貫であり、実際には米国による日本国への保護国条項に近い内容である。
日本国は九条によって未来永劫米国のしもべとして仕えるよう誓わされたようなものである。
自主交戦権がない国家、自国の意思で自国の防衛戦略を決定できない国は純粋には独立国とは言えない。日米同盟などとあたかも対等の同盟国のような物言いをしているが、実際には、米国による日本国保護条約というべき内容のものであろう。
また戦後日本の憲法学界は、9割以上が極左だというが、私に言わせれば日本の戦後左翼学者の多くは結局進駐軍(占領軍)の御用学者としか思えない。
左翼なら、反米なんだろうから、迅速に現行憲法は破棄して自らの理想と理念に基づいた新憲法を発布すべきであると強く主張すべきである。
当時のアメリカ合衆国は、タクシー、バス、野球チームにいたるまで白人と黒人が同居することすら許されない社会であった。生意気にも黄色い猿共が、白人様に楯突くとはもっての外だという意識もなかったとは言えまい。
ナチスドイツ敗戦後のドイツ政府は、以下の項目を連合国に対して要求し認められている。
1. 憲法は自国の意志により制定される
2. 国防軍は自国の意志により解体される (国軍は後再編されている)
3. 自国の教育制度は自国の意志のもと進められる
*文言は多少のズレがあるかもしれません。大筋このような内容です。
あのナチスドイツ後のドイツですらここまで自主的に戦後政策を進めている。百戦錬磨で戦争慣れしている欧州の諸国家は戦争の負け方を心得ているのである。負けたらどんな災いが自国民を襲うのかを骨身に沁みて経験しているからであろう。
九条擁護派は、平和憲法を高らかな理想と理念に基づいて作成されたかの如くに言うが、もしそれが彼等の高い理想と理念に基づいて作成したというならば、彼等の憲法にも何らかの形で盛り込まれて然るべきである。
そして、それが日本国憲法に持ち込まれたものであるならばまだ頷ける。米国人から彼等、すなわち我々日本人のこのような日本国憲法に対する純粋な眼差しを見る時、実に優秀で忠実なしもべを見る思いであろう。
イラク戦争後、当時の大統領ブッシュが、このように発言した。
「戦後のイラクは我々の指導の下、優れた民主国家になるであろう。我々にはその最大のお手本として日本があるではないか。」
この言葉を聞いて、屈辱的だと感じない日本人は相当「麻痺」している。西洋のブラックジョークにこのようなものがある。
奴隷は初めは自らの境遇を恨み、憎み、悲しむが、自分の立場に慣れてくると、奴隷同士でこのように自慢し合うようになるのだと言う。
「俺の首輪は銀でできている」
「なんだ、俺のは金だぞ」
日本人として、平和憲法がそんなに好きならば、いずれにしても米国による保護国(占領)憲法は一旦破棄し、日本人の意志と総意によって再度平和憲法なるものを制定すべきである。
なぜそのように宣言しないのであろうか。恐らく日本国憲法が本来どのような経緯で作成され制定されたものであるかの知識すらないのではないだろうか。
西洋人は、自らの野心や野望をスタイリッシュにまとめあげ、脚色し、表現することにかけては、天才的な才能がある。日本のオジサン達が逆立ちしてもこの領域では勝てないだろう。お人好しの日本人を操縦するなど赤子の手をひねるようなものである。
1950年6月朝鮮戦争が開始されると、マッカーサーはこれまでの日本に対する占領政策の転換を余儀無くされた。マッカーサーは、時の首相吉田茂に日本の再軍備を要求した。しかし、吉田は、戦後間もない当時の状況下、疲弊しきった国土を再興することが最優先であるとし、憲法九条を楯にこの要求を退けた。
1951年9月サンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本は独立国として承認されるが、この時、吉田の胸中に日本国憲法の破棄があったのかどうか。吉田自身、これらの問題は後世の日本人への宿題であるとして引き継いだのである。
しかし、彼の意志に反してかどうか、その宿題はまだ残されたままでいる。
三島由紀夫が死の数ヶ月前に新聞紙上い掲載した「果たしえてゐない約束」という文章の中で次のように書いている。
「(中略) こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだらうと考えてゐた私はずいぶん甘かつた。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。」
いずれにしても、自主憲法制定か、憲法擁護/改正かは、右/左、タカ/ハト、保守/リベラルの別ではなく、自立/依存の違いだと私は認識している。
(写真 : 日本国憲法審議の地碑 六本木一丁目駅至近 旧外務大臣官邸趾にて)
