ヘンリーSストークス氏の書籍を読み終えた。
歴史書として際立って新しい記述があったわけではないが、イギリス人の目から見た第二次世界大戦と、当時の一般的イギリス人から見た日本の印象、そして彼との、歴史上の人物達との交友録と人物への観察眼は非常に興味をそそるものであった。
またイギリス人として、ここまで日本人や日本の文化への深い愛情を示す姿と勇気にも感動させられる。日本人でここまではっきりと、日本についてストレートでポジティブに書ける人間は非常に少ないのが現状でもあり、残念なことでもある。
以下いくつか抜粋してみる。尚、私の個人的な感想は最小限に留める。
第二次世界大戦当時、イギリス人の一般的な日本への見方は以下のようなものであったという。アジアにおける彼等の植民地が全て奪われ、挙句、独立されてしまったことへの憎悪は激しいものがあったらしい。
ーーー イギリス側の立場からすれば、日本はとんでもない「武断国家」で、最悪の敵だった。インドを例にとれば、東インド会社の設立から始まって、何百年も植民地支配をしてきた領土を、日本が一瞬にして奪ってしまった。まがいもなく侵略者だ。ーーー
日本が降伏後、東京裁判で日本人を「裁いて」いる間、
ーーー この裁判で、日本は侵略国として裁かれたが、裁判が進行しているあいだに、イギリス、フランス、オランダの諸国軍が、日本が解放した旧植民地を、再び植民地として領有しようと企て、侵略戦争を戦っていた。(著書 解説より) ーーー
祖国カンボジアを追われ一時期北朝鮮に滞在していたシアヌーク殿下に関するエピソードはとりわけ興味深い。滞在中北朝鮮で、自ら監督、主演をし、「ボコールの薔薇」という映画を制作した。その作品の試写会には金日成、正日親子もやって来たのだという。少し長くなるが、以下文章をそのまま抜粋してみる。
ーーー はじめ金日成の肖像と、金日成を讃える字幕が出てくる。映画はカンボジアのボコールに、民衆が総出で沿道に並んで歓迎するなかを、日本軍が進駐する場面から始まる。シアヌークが日本軍の指揮官・長谷川一郎大佐を演じ、モニク王妃が町の有力者の娘で、大佐の恋人の役を演じている。シアヌークがカンボジアを解放した日本に、深く感謝していたことが感じられる。 映画の中の日本軍は、じつに規律正しい。日本兵の役は、朝鮮人民軍の兵士がエキストラとして動員され、演じている。
日本軍が来ると、民衆が「解放者」として狂喜して迎える。フランス軍司令部の屋上から、フランス国旗が降ろされ、「君が代」が吹奏されるなかで、日の丸があがる。長谷川大佐は軍装に軍刀を吊り、凛々しい日本軍人として描かれている。
抜刀の礼を行う長谷川大佐が率いる、日本軍人を演じる数百人の朝鮮人民軍の兵士たちが、日の丸に対して捧げ銃を行うのは、奇観だった。
日本軍とフランス軍の司令官が戦死すると、丘の上の小さな教会で葬儀が催される。長谷川大佐が参列し、柩が埋められるのを、挙手の礼で見送る。日本軍人は敵にも手厚いのだ。 長谷川大佐の執務室の机の上には、軍装で白馬を駆られる天皇の御真影が、飾られている。
副官が広島に原爆が投下されたことを報告すると、副官が去った後に、大佐が慟哭する。
日本が降伏したという通信を受けると、大佐は町の恋人の家を訪れて、ピアノで「さくらさくら」を弾く。その旋律が流れるなかで、爛漫と桜が咲き誇る日本の春、紅葉に染まった秋の山河、白雪に覆われた冬の日本の風景が、次々と映しだされる。
シアヌークは戦争に敗れても、日本の気高い精神が少しも変わらないということを、訴えた。 この映画の試写会には、金日成が長男の正日をともなってやってきた。上映が終わると、二人がシアヌークに「素晴らしい映画だ」と、口を揃えて賞めそやした。ーーー
日本人としては、何とも信じ難い光景である。 日本国憲法に関しては自分が考えていることとほぼ同意見の記述が見られた。
ーーー 日本国憲法原文の英文がある。占領下で憲法を強いたのは、国際法違反だ。マッカーサーはわずか一週間で憲法を作った。その作業にあたったスタッフには、憲法の専門家がいなかった。国連憲章などを参考に作文した。
日本国憲法は日本を弱体化し、二度と戦争を起こすことができない国にする降伏条約だ。憲法の前文は日本を絶対に再びアメリカに対して戦えない国として、誓約させた意図が、ありありだ。 (中略) 日本国憲法は、日本人によって「平和憲法」と呼ばれているが、前文を冷静に読んでみれば、「属国条約」であることがよくわかる。
前文で約束されていることは、「日本国民はその生存をアメリカに委ねる」ということだ。 こうしたアメリカの保護領として日本の立場を変えさせないための枷(かせ)が、国会の三分の二以上の賛成を得ないと改正することができないとする第九十六条だ。ーーー
靖国神社についは、
ーーー マッカーサーは靖国神社を軍国主義、国家主義の象徴だとみなして、焼き払ってドッグレース場をつくろうとした。 マッカーサーが考えを改めたのは、バチカン法王庁駐日使節だったブルーノ・ビッテル神父が書簡を送って、「戦勝国か敗戦国かを問わず、国家のために命を捧げた人に敬意を払うのは自然の法であり、国家にとって義務であり、権利でもある。もし、靖国神社を焼き払ったら犯罪行為であり、アメリカの歴史に不名誉極まる汚点を残す」と警告したからだった。ーーー
靖国神社の現在の問題点は、東京裁判におけるA級戦犯が祀られていることであろうが、誰を祀るかは、一義的に靖国神社の判断によるし、二義的には東京裁判によるものではなく、日本人自身によって判断されるべき問題であろうと思われる。
個人的には、東条英機が、仮にどれほどの人物であろうと、なかろうと、一国を敗戦に導いた首相及び軍総司令官としての責務は追うべきであろうと思っている。
ちなみに、その東条英機であるが、この書物に、こんなエピソードが掲載されている。歴史に詳しい人は既知のことであろうけれど、最後に抜粋掲載しておきたい。第二次世界大戦時、多くのユダヤ人を救った日本人として杉原千畝が有名だが、とした上で、
ーーー 一九三○年代末に、二万人ものユダヤ人難民がナチスの迫害を逃れ、シベリア鉄道で満洲国境へやってきていた。当時、関東軍ハルビン特務機関長だった樋口少将が、新京に司令部を置く関東軍参謀長に、ユダヤ人難民の入国の許可を求めた。当時の参謀長が、東条英機中将だった。入国を許可しなければ、ソ連がドイツに送り返すところだった。 東條は「民族協和と八紘一宇の精神」に従って、二万人のユダヤ人の入国に許可を与えた。ドイツ外務省が日本政府に対して、強硬な抗議を行ったが、東條は、「当然な人道上の配慮」だとして一蹴した。ーーー
このエピソードは、日本人にはほとんど知られていないが、ユダヤ人には比較的知られている話のようである。数的に言えば、杉原は六千人。東條は、二万人ということになる。 この書籍はこの時代の歴史にあまり詳しくない人にも読みやすく、この他にも三島由紀夫との交友録など興味深い内容の記述が多い。また、東京裁判や、マッカーサー個人に対しては非常に激しく糾弾している。

