自分が文学青年だった頃、もちろん三島を読んだ。
凄まじいまでの性的な劣等感と倒錯。彼の血筋を流れる、宿命的なまでの貴族趣味の濁流に驚かされながらも、彼の本質は一体何処にあるのかと、ふと不安がよぎったものである。
しかし、今三島を思う時、彼の文章で最も共感するのは「果たし得ていない約束」ただ一つである。これ以上に彼の存在意義の本質を物語る文章があろうか。結局、彼はこれだけが言いたいがために「書いていた」のである。
彼は日本人としてのアイデンティティに異常なまでの執着心を持ったが、ここまで異形なシルエットで自らを世に晒(さら)さなければいけないと感じるほどに、「日本」と「日本人の本質」が、この国から忘れ去られようとしていたと彼は感じていた、ということなのかもしれない。
彼の不気味なまでの「日本人」への語りかけと、死してなお余韻を残して止まない彼のこの国への「執着心」が、今まさに日本人の心に通じるかどうか。現代はその瀬戸際にあるのかもしれない。

