私が、日本史と天皇家の歴史的真実を辿る場合、かならず、天皇家と神道を同一のものとして探り、辿る。日本の文明と歴史を考える時、その中核は天皇と神道にある。私が調べ物をする際、天皇と神道はイコールであり、きってもきれないセット物である。
日本独自の文明とは、神道であり天皇である。それ以外何かあるであろうか。何かあるなら聞いてみたい。
戦後の学者は、科学は宗教と相容れないものと確信し、宗教的なものを宗教的な要素を考慮して自説の中に取り入れることを嫌がる。あるいは無視する。彼らにとって宗教的な背景を自身の科学的論説の背景に混入させることは「恥」なのであろう。
したがって、天皇家の歴史を考える場合、彼らは西洋の王とか、中国や朝鮮の王とか、そういう権力者の一例としてしか考えることができない。宗教は権力者の道具であり利用されるべきものとしてしか考慮されない。
これが、戦後の日本古代史と天皇の関わりを考える場合に激しい齟齬が生まれる理由である。
江上波夫の北方騎馬民族征服王朝説などはその典型かもしれない。4世紀頃、いきなり(ということではないようだが)、半島経由の騎馬民族(これは恐らく、高句麗を建国した扶余族のようなことを言うのであろうが)が、畿内に進出して政権を奪取した。と言うのだが、彼は天皇と神道との関連性は完全に無視している。
しかし、神道あっての天皇であり、天皇あっての神道であり、それこそが、この国固有の文明と価値観を創出しているのである。では、天皇が北方騎馬民族であったとして、神道も北方騎馬民族がもたらしたものであるのか。ここを同時に明らかにしなければ天皇家の真実を辿ることは不可能であろう。
こういう視点が欠落しているのは、戦後世代の限界というべきか。この世代はことさらに宗教的なものを無視しようとする。それが知的な作業であると信じているからかもしれない。
私自身、特定の宗教団体に所属しているわけでもないし、現代の組織宗教に肯定的な考えをもっているわけではない。しかし、考慮しなければならないことは考慮しなければならない。敢えて言うならば、「クールに」考慮すれば良いのであるから。
人間の文明というのは、つきるところ、精神的、意識的、霊的な営みからしか生まれ得ない。現代の主軸となる西洋文明もまたその例外ではない。それを否定したら、ただの「生活」しか残らない。
共産党は、「生活第一」とか言って、民衆の日々の生活のことにしか焦点をあてることができない。唯物主義というのはそういうものだ。生活、生活。民衆の心はどんどん貧困になるばかりである。
民衆社会は西洋の社会主義や共産主義の影響を強く受けて、日々の生活のことばかり考える集団へと変化してしまった部分がある。
しかし、かつて、この国には、町や村には鎮守の杜があり、そこで行われる祭りや行事を楽しみにし、祭りを行う主役は民衆達であった。時代の経過とともにそれが失われてゆき、生活のことしか考えず、人権だとか権利だとか、「欲にまみれた」ことばかり考えて生きるようになった時、人心は荒み、爛れたのである。人の幸福度は、「人権」だけでは測れない。とはいえ共産主義も人権もまた、西洋キリスト教文明の落とし子ではあるのだが。
神道と天皇と日本文明について正しく考えるということは、こういった思考作業が必要になるのであると私は思っている。
( 写真 カール マルクス)

