知人の名取さんが「鎌倉遠足」という子供から大人向けの鎌倉時代の鎌倉史についての冊子を完成するという時、自分にとっての鎌倉史である、宝治合戦について書いた。
その直後私自身、魂の抜け殻のようになった。何か積年(二十年ほど)の思いのようなものが解放された気分である。丁度その少し前、高倉健さんがお亡くなりになった。
宝治合戦の投稿の際、その少し前に、ある三浦一族に関するファンサイトにいいねした。その主催者の方から投稿をいただき、小桜姫物語について紹介された。そのファンサイトでも、紹介されていたのだけれど、よく見ていなかった。
改めて、送られたリンクをたどり、サイトを拝見すると、三浦道寸の息子荒次郎義光の妻を小桜姫と言い、その姫をお祀りした神社が油壺付近にあるという。三浦道寸とは、三浦一族最後の頭領である。先述の宝治合戦で三浦氏の嫡流は滅んだが、佐原氏流など一部の系譜は残り、戦国時代まで続く。しかし、戦国期になり湘南地域に台頭した後北条氏に再び攻め滅ぼされる。
三浦一族とはつくづく因縁が深いのか、再び「北条」と名のつく大名(鎌倉の北条氏とは遠い血縁関係がある)に滅ぼされる。この際の終焉地が油壺であり、そもそも「油壺」という名称は、この時、滅亡した三浦一族の血が湾内に漂い、油の壺のようになったことから、つけられた名称である。油壺にあった新井城(現油壺マリンパーク付近)で三年もの間籠城するが攻め落とされ、残った将兵達は油壺で自刀する。この時の血が湾内に漂ったのである。
史実を調べると、荒次郎の名前は、義意となっている。義光とは別称なのか。小桜姫という名称も史実には確認できないが、義意の妻は、真里谷信勝の娘、真里谷恕鑑の妹など他にも異説があるようだ。真里谷氏とは武田氏の系流で上総国付近にいたようである。小桜姫とは真里谷氏の人なのであろうか。小桜姫物語では小桜は、横須賀の生まれてあり、父は大江廣信という人物で母方は加納氏であるという。そういう姫がいたのかもしれない。
さて、小桜姫物語であるが、これは昭和12年に、浅野和三郎という人物が、妻に憑依した霊の言葉を霊言として書物にしたものである。戦前期このような心霊ブームが起きた。浅野和三郎という人物はその時期のこのカテゴリーの中では非常に有名な人物で、大本教に入信し、論客として名を馳せた人物である。当時の政治家、軍人など有力な人物も影響を受け、一時期は彼の名声も活況を呈したという。
映画「リング」の中で戦前期に伊豆大島とかで、心霊実験をする話が盛り込まれているが、当時は実際そういうことに人々の関心が集中した。昭和12年は、日中戦争が勃発し、人心が行く先に不安を持った時代でもある。
浅野和三郎は、横須賀に居住し、海軍機関学校の英語教師をする傍ら、妻の口からなる霊言の記述にあたった。およそ八年がかりであるという。
内容は、生きていた時代の話というよりも、死後に神社が建立されるまでの、心霊、あるいは神霊としてのストーリーであるらしい。なかなか興味深い。
三浦氏とは縁がある。逗子市に両親が住んでいた時、自宅から歩いて数分のところに、延命寺という寺があった。ここに、三浦道香とその一族の墓がある。境内に5~6基の小さな五輪塔がある。道香とは先述の道寸の弟であり、当時逗子市小坪の住吉城に居住していたが、やはり攻められ、延命寺至近の田越川脇で一族共に自害して果てた。
小桜姫がどういう系譜の女性なのかは不明だが、いずれかの人物の妻あるいは深い関係にあった女性であろうと推察される。新井城の合戦後に生き延び、付近で余生を暮らした後家の女性をお祀りしたのが、小桜神社ということは間違いなさそうである。この神社は、最近になり、江原さんが湘南地域のパワースポットとして、走水神社などと併せて紹介したため、参拝客が多くなっているという。
走水神社も以前は、寒村の寂しい神社で、付近の住民以外誰も訪れることのなかった神社であったが、最近はちょっとした観光地のようになっている。
「小桜姫物語」は、宝治合戦の文章の投稿直後にご縁をいただいたものだ。読んでみようと思う。
現代語訳「小桜姫物語」
http://www.paperbirch.com/sakura/
オリジナル「小桜姫物語」
http://www.aozora.gr.jp/cards/001034/files/4823_48720.html
書籍も出ています。
最近のパワースポットブームでyoutubeにも神社の様子がアップされています。
(写真:油壺 徒然草現代版by Vamosより)

