大日本帝国憲法は、伊藤博文等がドイツ憲法を規範として制定したものであるというのが、通説であるが、憲法の冒頭「御告文」を読めば真意は違う。
近代社会の規範としての憲法の骨格はプロイセン憲法すなわちドイツ憲法を範としたが、当時伊藤等は当時のヨーロッパの全ての国家の憲法を調査研究した。
近代政治の憲法の大本はイギリスの不成文憲法であり、ベルギー憲法は、現在でも残る最古の成文憲法である。プロイセン憲法はその流れを踏んだ憲法である。
さて、「御告文」とは宮内庁のHPによると、大祭など、天皇陛下ご自身で祭典を行われる際に、神前にて奏上される文章である。
大日本帝国憲法の冒頭には、明治天皇の肉声とも言える「御告文」が掲載されている。
明治天皇は憲法制定に際し、自ら命がけでこれに取り組まれた。制定後、板垣退助など、政治家や学者等が、この憲法はドイツ憲法の物真似だと言った際、激怒された。
冒頭の「御告文」を読めば、激怒された意味が良く分かる。
御告文(オツゲブミ、ゴコウモン)
皇朕(スメラワ)レ謹(ツツシ)ミ畏(カシコ)ミ
皇祖
皇宗ノ神靈ニ誥(ツ)ケ白サク皇朕レ天壤無窮(テンジョウムキュウ)ノ宏謨(コウボ)ニ循(シタガ)ヒ惟神(コムナガラ)ノ寶祚(ホウソ)ヲ承繼(ショウケイ)シ舊圖(キュウト)ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧(カンガ)ミルニ世局ノ進運ニ膺(アタ)リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徵ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメ益々國家ノ丕基ヲ鞏固(キョウコ)ニシ八洲(ヤシマ)民生ノ慶福ヲ增進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟(オモ)フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽(ノコ)シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬(ミ)ニ逮(オヨビ)テ時ト俱ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵(マコト)ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉(イシャ)スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ神祐ヲ禱(イノ)リ倂ハセテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆(アヤマ)ラサラムコトヲ誓フ庶幾(コイネガワ)クハ
神靈此レヲ鑒(カンガ)ミタマヘ
()内は私が付記
現代的な表現で、極めて簡単に言えば、これは天皇が日本国を代表し、先霊に対して自らがこの憲法の制定を宣言し、国家国民の御加護を祈ったものであると言って良いであろう。
日本国憲法とどれだけ格調が違うかは、この文章を見れば明らかである。
戦後、大日本帝国憲法は「悪の憲法」のように言われてきた。これは日本の先祖先霊に対してはなはだ失礼な話である。憲法は完全ではない。問題が起こればこれは修正されなければならない。時代の変遷とともに価値観や常識が変わる部分もある。
戦後、吉田茂も幣原喜重郎も、美濃部達吉も、大日本帝国憲法の骨子に関しては、修正の必要は全くないと考えていた。
しかし、GHQ(占領軍)の強制によって、結果彼らが出した案に承服しなければならなかったのである。このあたりの経緯はおいおい書いてゆくつもりである。
「御告文」の解説に関しても解説いたします。

