ここ数日、ヨーロッパにおける異変を聞き、私自身想像もしないほどに突然に、人類史上の大きな出来事が起こっていることを知りました。
パリにおけるテロとそれに連なる一連の出来事は、この二千年紀の終焉を告げる、「終わりの始まりの出来事である」というのが私の結論です。
それは、西洋キリスト教文明(ユダヤ、イスラムを含む)宗教の時代の終わりです。
2001/9/11の同時多発テロが起きた時、私は瞬間的に、時代の終焉を感じました。それはアメリカという国の絶対的な覇権の終焉です。
東日本大震災が起きた時、日本が変わり、世界もその影響を受けざるを得ないと考えました。しかし、日本にはさらに大きな出来事が起こるような気がする。それがどんなことかは全くわからない。
しかし、今回の出来事は、少なくとも日本では、上記二つほどセンセーショナルに報道されてはいませんが、結果的にそれ以上に大きな出来事として世界史に刻まれることになるように思われます。
西洋キリスト教文明の絶対的影響力の終焉の始まりです。
今後、彼らは彼らがこれまで培ってきたあらゆる価値観を駆使してパフォーマンスを繰り返すでしょう。しかし、何の解決にもなりません。彼らは問題の根源を充分に理解できていても解決法が何もないからです。
結局、愛だ、人権だ、平等だ、そんなスローガンを掲げてデモ行進することしかできません。そんなことを何回繰り返しても何の根本的な解決にもならないことは、彼らのエリートは百も承知でしょう。だからあんなにも表情に力がないのです。
彼らには、何もできない。
これが文明の終焉というものです。私たちは世界史が始まって以来最大の出来事の瞬間に遭遇しているのかもしれません。
今世界の人々は日本の文明の重要性のことなど誰も知りません。しかし、世界の問題を解決する次世代の文明の基礎は日本にしかない。
宗教の終わり、と言いましたが宗教が消えることはないし、西洋であれ、中東であれ、東洋であれそれぞれの地域に根ざした宗教はこれからも存在し続けるでしょう。しかし、それは地域的な、あるいは個人的なものになってゆく。
今の三大宗教、すなわちユダヤ、キリスト、イスラムは、神道に例えれば、唯一神をアマテラスにするか、ニギハヤヒにするかオオクニヌシにするかスサノオにするかでお互い一歩も譲らず、あげく殺し合いをしているようなものです。
ユダヤ、キリスト、イスラム、仏教も含め、宗教というものは全て、自己と神、あるいは仏との一対一の関係しか存在しない。
しかし、人間生活には家族があり、住む土地がある。そこまで考えて始めて豊かな人間生活が存在する。一対一の関係でしか魂を支えるものが存在しない世界は砂粒が集まった砂漠のようなものです。
風が吹けばさらっと吹き飛んでしまう。
日本には先祖をお祀りし、土地の産土神をお祀りする世界がある。だから土地が粘土のように硬く、その上に人々が暮らしている。
粘土のように硬い土地になったその上で、主祭神がアマテラスであろうが、マホメットであろうがイエスであろうがヤーウェであろうがかまいません。
それがいままでも私の持論でありこれを世界に広めることが旧約の示す千年紀になるに違いないと。
しかし、今回の出来事に遭遇し、新たな言葉が必要になりました。
それは、
相対する二つの力のバランスと共生です。
共生というのは、違った考えの人間がお互い自分の考えを抑えつつ中庸の世界を作るということではありません。
東洋人が大好きなチャンポンごちゃまぜでいいじゃないか、ということではない。お互いがお互いの世界観を侵害せずに豊かに暮らす方法です。
日本には怨霊を鎮めるために社を建立して、これをお祀りする伝統がある。
主祭神、産土神、先祖をお祀りする、三位一体の方法に加えて、怨霊鎮めの社を建立する。
怨霊という言葉は、日本的であるし、西洋でいえばゴーストになってしまうので軽すぎる。
だから二つの相反する力の源泉を相互にお祀りするということです。
日本で言えば、
渡来系ー非渡来系
天津神ー国津神
日向系ー出雲系
物部氏ー蘇我氏
物部氏ー藤原氏
蘇我氏ー藤原氏
源氏ー平氏
南朝ー北朝
関ヶ原東軍ー関ヶ原西軍
薩長ー幕府
というようなもの。これらはすべて歴史を辿るとひとつに集約されるものも多い。これを互いに、戦い会う力の源泉を鎮めるために、お社のようなものを建立する。
世界史の文明単位で言えば、
ユダヤーキリスト
キリストーイスラム
ユダヤーイスラム
東洋ー西洋
太平洋ー大西洋
スペイン、ポルトガルー中南米文明
などなど詳しいことは分かりませんが、こういったものの力の源泉の敵対する意識を鎮魂する。
この優れた方法を体系化しているのは日本だけです。それが日本の文明にのみ体系化されている。
笑い事だと思うも人もいるでしょう。しかし、私は誰よりも最速でこのことを明言しておく。
一種の予言かもしれません。
これから西洋を中心として凄まじいことが起こるかもしれない。しかし、このことを念頭に置いて、やがて来るべきものが来るのだ思っておればそれは間違いのないことであると思っています。

