善と悪、二進法、⚪︎と×、白と黒。
プロレタリアート vs ブルジョアジー、ドイツ民族 vs ユダヤ民族、戦前日本 vs 戦後日本、連合軍 vs 悪の枢軸、テロとの戦い。
二元論は、自分がいてそれに対置するものを「悪」と設定してこれを叩くための戦い、闘争を必然的に誘発する。「悪」を取り除き、浄化すれば正しい世界が出来上がる。
語り部は常に正しく、それに対置されるものが、「悪」とされる。自分は常に「善」だから人を煽動するには最も効果的で安価、安易である。
最近流行りの 「I am ○○」 というのがそのロジックを表す象徴的なものだ。
「我」は正しく正義なり。
「我」とは信ずるものだ。
マルクス主義もナチズムもテロとの戦いも、東京裁判史観とされるものまで、全てこのような思考原理で形成されている。
ここに、自由、平等、平和という概念が入り込むと、人間社会や人間精神は必然的に分裂し崩壊する。全てが矛盾してゆき収拾がつかなくなるからである。これをなにがしの陰謀というものがいるけれど、私からみれば「文明の自爆」である。
本来、自由、平等、平和という概念は一つの信仰を共有するものの間でのみ有効であることが前提とされる概念だからである。(日本人には理解できない)
神のもとにおける自由
神のもとにおける平等
神のもとにおける平和
神と悪魔、信仰者と非信仰者、我の神を信じる者たちと異教徒。
二元論は、旧約を起源とする、アブラハムの宗教(ユダヤ、キリスト、イスラム)から生み出された思考パターンであるといえる。この思考パターンそのものが金属疲労を起こしちぎれ飛ぶ寸前の状態が現代社会であり、今の世界の構図である。
ユダヤ キリスト教文明の終焉を以前から書いてきた。
その文明に属するものには、その思考パターンを止めることはできない。この「文明の渦」が激しくうねり始めている。物事の終わりには、その動き自体の勢いが極限まで高まる。
日本文明の役割は大きなものなのである。しかし、それはひとえに日本人がそれを自ら自覚できるかどうかに掛かっているのかもしれない。
(写真 ~ Remember 9.11.01 ~ より)

