世界史上、国際会議において人種差別撤廃に関する提案を行ったのは日本が初めてである。
第一次世界大戦終結後、パリ講和会議の国際連盟委員会において、日本が条文に明記することを提案したが、イギリス、オーストラリア、カナダ、アメリカ合衆国の強い反対により否決された。
第一次世界大戦が集結した段階で、アメリカ合衆国は、日本を仮想敵国とし、イギリスも日英同盟を廃棄した。
同時期からアメリカ合衆国及びカナダ国内では、人種差別主義に基づく日系移民排斥問題が起こるが、この問題の解決を図ろうと日本政府内では、国際社会において、人種差別撤廃を提案することを意図した。国際連盟規約にこれら条文を盛り込もうとしたのである。
1919年(大正8年) 、時の外相牧野伸顯は、2月、4月の合計2回の提案を行ったが、否決された。これに先立ち、イギリス外相バルフォアはある席上で、この提案に対し一定の理解は示したものの、
「ある特定の国において、人々の平等というのはありえるが、中央アフリカの人間がヨーロッパの人間と平等だとは思わない」と述べた。
一回目の提案時、アメリカ上院では、この提案が採決された場合、国際連盟不参加の決議を採択した。結果、結論は先送りとされた。
二回目の提案で、採決が行われたが、参加国の投票結果は以下の通り。賛成多数であったが、議長であったアメリカ合衆国大統領ウッドロウウイルソンは、全会一致でないためとし、これを否決した。
投票結果は以下の通り。
賛成 ー 大日本帝国、フランス、イタリア王国、ギリシャ王国、セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国)、チェコスロバキア、ポルトガル 、中華民国
反対または保留 ー アメリカ合衆国、イギリス、ブラジル、ポーランド、ルーマニア王国
賛成、反対には国や投票者により様々な理由があり、必ずしも倫理上の理由からではない場合もあった。(ポーランドなど)
この後、日米関係はしだいに悪化し、アメリカ合衆国、カナダ等では日系移民の強制収容などの問題が起きた。
アジアにおいては、日本及びタイ以外の全ての国が西洋列強の支配下にある状況下、ABCD包囲網などの経済封鎖を経て、日本は日米開戦へと、詰将棋にように追い詰められて行く。
このような戦前の世界史における日本の立ち位置と、敗戦後日本における占領軍による、日本国内への圧倒的な内政干渉、というよりも占領統治の手法が、あのナチスドイツが、ナチス関係者の処罰にほぼ限定されたのに対して、国の形や憲法、民法、刑法にいたるまで徹底的に介入したという事実を、私達日本人は歴史的事実として知る必要がある。
(写真 : 牧野伸顕wiki)

