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    Home»憲法

    憲法九条の真髄

    平成27年7月20日 憲法
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    「I shall return.」(私は必ず帰ってくる)

    マッカーサーは、極東軍司令官としてフィリピンに赴任時、日米開戦となり、日本軍に追われ、この地を脱出する。マッカーサーとフィリピンは縁が深い。父親は、フィリピンの植民地時代の初代軍政総督であった。彼の一族はこの地に、思い入れも権益もあったはずである。

    北アメリカの東海岸に上陸したイギリス人等、ヨーロッパ系移民は、大陸を西へと横断し、西海岸に到達すると、海を越えてさらに進んだ。謀略によってハワイの王室を崩壊させ自国領にした後、フィリピンを征服する。

    当初フィリピンもハワイ同様自国領化し、「フィリピン州」とする案もあったが、フィリピンは人口が多いため、合衆国の政治状況にフィリピンが影響することを恐れ、名目上独立させ、アメリカ合衆国が間接統治した。

    実質合衆国領であったフィリピンには自主権は必要なく、結果軍隊は必要がない。フィリピンの国土はアメリカ軍が守備する。1935年、フィリピンの独立に際して発布されたフィリピン憲法には以下の条文がある。

    第一条第三節 フィリピンは国策の具としての戦争を抛棄し、、

    マッカーサーが厚木飛行場に第一歩を踏みしめた時、「I shall return」の言葉を再び噛み締めていたに違いなかろう。

    それを遡ること、凡そ半年。1945年1月、アメリカは、イギリス、ソ連、中華民国政府に対して以下の提案を行った。日本の戦後処理に関する提案である。

    「日本は二十五年間、陸海空軍も類似の軍事機構も持たない。軍需工場ももたず、兵器弾薬を生産せず、輸入もしないと約束する。占領解除後も、米英支ソの監視委員会による監視を受け入れる。以上を約束しない限り、日本の占領は解除されない。また監視委員会は、安保理その他に逐次報告書を提出し、日本が再軍備しそうになったらただちに必要な行動をとる。」

    憲法九条の骨子は既にこの時点で確定していたと考えるべきだろう。

    連合軍最高司令官として日本を統治する役目を負った、マッカーサーに対し、当時のアメリカ合衆国大統領トルーマンは以下の文書を持って、日本統治の権限を与えた。

    「天皇と日本政府の統治権は、連合国軍最高司令官としてのあなたに隷属する。あなたは、あなたの権力を思う通りに行使できる。我々と日本との関係は条件付きのものではなく、無条件降伏に基づいている。あなたの権力は最高であり、日本側に何の懸念も抱かせてはならぬ。」

    「日本の支配は、満足すべき結果が得られれば日本政府を通じて行われるべきである。もし必要あらば、あなたが直接行動しても良い。あなたはあなたの出した命令を、武力行使を含め必要と思う方法で実行せよ。」

    これは、戦前の日本国内におけるどの権力よりも強力なものであった。明治から昭和期を通じての天皇は立憲君主としての立場であり、昭和天皇の終戦の決断、二二六事件における反乱軍の鎮圧を除き、直接の政治的決断は一切行っていない。

    近現代史の書籍を読むと、天皇について、絶対君主とか専制君主だといかいう記述を時々目にするが、完全な誤りである。書物を出す者ですらこういう間違いをおかしているのには呆れる。

    とはいえ、マッカーサーこそは、絶対君主であったと言えよう。

    日本に着任したマッカーサーはさっそく憲法改正等の戦後政策に関する事項を日本政府に命じたが、東久邇宮内閣は、いくつかのマッカーサーからの要求を拒否し内閣を辞職する。

    幣原喜重郎はこの後を引き継いだ。当時の日本の政治家の大半は、憲法の改正に関し、大日本帝国憲法の多少の変更で問題ないと考えており、幣原喜重郎に関して言えば、改正の必要は全くないというのが持論であった。戦後政策に関しても、状況は大きく変わるとは言え、憲法を変える必要はないということであった。

    幣原喜重郎は、自著で戦争放棄の条項は自分からの提案だと語っているが、大日本帝国憲法の改正すら必要がないと考えていた人物がそのような提案を進んでするはずがない。

    幣原内閣において憲法改正を担当したのは、松本烝治国務大臣である。松本は、大日本帝国憲法の改正私案を作成した。

    幣原が、マッカーサーに戦争放棄を提案したのは、1946年1月24日の会談であるとされているが、この後の2月8日、松本による憲法改正私案が提出されている。そこには以下の記述がある。

    第五条 天皇は軍を統帥するものとするすること
    第六条 軍の編成及常備兵額はこれを以て之を定むるとすること

    幣原が1月24日にマッカーサーに対して戦争の放棄条項を盛り込むよう提案したとするならば、その後の2月8日にこのような改正案を提出することはあり得ない。

    日本政府から憲法の改正案は数度提出されたが、GHQすなわちマッカーサーから全て拒否されている。結果、GHQから手渡された英文憲法が日本国憲法となった。

    日高義樹氏の『アメリカが昭和憲法を与えた真相』には以下のインタビュー記事が掲載されている。インタビュー相手は、当時GHQのガバメントセクション、つまり憲法改正問題の責任者の一人、ウイリアムブラウン博士である。この話は恐らく2月8日に松本私案をGHQに提出後の話であろう。

    日高「憲法九条はどうなったのですか。」

    ブラウン「憲法九条は幣原首相が付け加えたものです」

    日高「アメリカ側ではなくて、日本側の考え方だったのでしょうか」

    ブラウン「幣原首相がマッカーサー将軍にそのようなことを言ったと伝えられています。マッカーサー将軍もそうだと言っている。だが戦争放棄というのは、もともとは、マッカーサー将軍の考えたものであるように思われます。彼だけの考え方だったと思うが、歴史家が、幣原首相の考えにしたのだということにしたのだと思う。」

    日高「ともかく、憲法第九条は日本政府がマッカーサー将軍に提出した再度の草案に入っていたのですね。」

    ブラウン「確かにそうです。マッカーサー将軍が日本政府に再度、憲法の原文を作るように命じたとき、ガバメントセクションに三つの注文をつけました。第一は天皇でした。天皇は存続させる。そして政府のシンボルとなる。天皇は代々引き継がれるものとなる。次が戦争の放棄でした。第九条だと、マッカーサー将軍が言いました。戦争の放棄という言葉が、どこから出てきたのか明らかではありません。」

    日高「戦争放棄と言ったのですね。どういう意味だったのでしょうか。」

    ブラウン「戦争をしない。戦争をやめる、ということでした。単に戦争をするべきではない、ということではなく、日本の主権の行使として戦争そのものを放棄してしまえ、ということでした。」

    ーー中略ーー

    日高「全体的に見ると、ガバメントセクションが日本側に出した注文と、日本側が作った草案には、何か大きく違う点がありましたか。」

    ブラウン「いくらかの相違点がありました。ガバメントセクションが作ったメモに日本側は明らかに不満で、反抗的な姿勢を見せていました。憲法の原文の草案とも言うべき三つの原則についてのメモを渡したとき、松本博士は息を飲み、白洲次郎は突然立ち上がったりして、驚きの色を隠せなかったそうです。アメリカ政府の草案が示されたとき、日本側は明らかに苛立っていました。不満を隠せないようだったが、結局は総司令部に折り合いをつける他はありませんでした。
    ー略ー
    最終的に日本側とガバメントセクションが作り上げた日本国憲法の草案には、ほとんど相違点は見られなかった。」

    また、同じ書籍に、マッカーサー司令部の政治担当補佐官として、マッカーサーのもとで働き、憲法九条の作成に関わった、リチャードフィン博士のインタビュー記事も掲載されている。

    日高「憲法九条ですが、マッカーサー将軍が言い出したのではなく、幣原首相が発案したという話がありますが、、、。」

    フィン「憲法九条はマッカーサーが考えたものです。当時、日本は彼が望まないことは何もできず、彼が何かを望めば、それに従わざるをえなかった。マッカーサーは幣原首相を利用したのです。これは一種の欺瞞とも言えますが、幣原首相が憲法第九条を欲しているというふうに人々に思い込ませたかったのです。幣原首相は戦争放棄には反対していたと思う。戦争放棄はマッカーサーではなく、幣原首相の考えだというのは誇張だと思う。」

    仮にマッカーサーが第九条の作成を命令したことが公になれば、九条そのものが、米国による保護国条項であるということを証明するものとなってしまう。占領統治なんだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、天皇陛下の信任による新憲法ということになれば、そんなことは公にはできない。だから、幣原喜重郎は自分が全てこれを背負い込んだのであろう。そうしなければ、日本の治安も復興も難しくなったと考えられる。

    また、当時の戦時国際法であるハーグ条約には、以下の記述があり、占領軍は被占領国の法律に従うことを原則としているため、占領軍が被占領国の法律制定に関与することは公にはできないという理由もあったであろう。

    ーー
    第43条:国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。
    ーー

    憲法九条が明文化されるにあたっては、第一次世界大戦集結時に締結されたパリ不戦条約を基にしているというのが一般的である。

    第一條
    締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス

    第二條
    締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス

    これはあくまでも国際条約であり、一国の憲法として規定されるものではない。

    あえて付け加えておくが、戦争放棄を否定すると、

    「お前は戦争がしたいのか」

    的な言い方をする日本人がいる。これは、犯罪が起こるかもしれないから警察は必要だと言ったら、お前は犯罪者か、と言うのと同じくらい幼稚で馬鹿げた話だ。

    戦争など誰もしたくない。しかし、政治の延長線上の最終的な形態としての紛争解決手段として戦争の可能性を、どのような状況においても考えておくことは、主権国家として当然のことであり、外交的な自立と自主的な政治的判断を国際社会に示す上で必要な手段である。政治は宗教ではない。

    意外と知らない人が多いが、韓国には韓国軍があるが、軍事指揮権は在韓米軍にある。これは、実質的な自主権の剥奪に等しい。韓国国内で軍事的な事項が発生した場合、軍事指揮権は在韓米軍の司令官にある。韓国は、実は完全にアメリカの保護国である。

    ちなみに、韓国、フィリピン、ドイツ、イタリアにも九条に近い条項があるが、これらの国ですら戦争放棄ではなく、戦争の否認、侵略戦争の否認にとどまっているようである。しかし、これら4カ国と日本との、ある種の共通性は一目で分かると思う。

    自衛隊の指揮権は日本政府にあり、日本国内で軍事的事項が発生しても指揮権は総理大臣にある。しかし、その代わり憲法九条があり、日米安保条約があるということになる。日本は見せかけは独立国であるが、実質的には保護国に近い状況にあると言えるだろう。

    さらに、現在のドイツに憲法はない。終戦時ナチスドイツ政府は、戦後処理に関する条件として、軍隊の自主的な解体、憲法の自主的な制定、教育制度の自主的な制定、を要求し受け入れられている。日本はこれら全てを剥奪されている。(ただし、軍隊の解体は、進駐軍が本土上陸以前に東久邇宮内閣によって整然と行われた。米軍はこれには驚かされた。)

    現在のドイツ憲法に相当するものは、ドイツ基本法と呼ばれ、ドイツが被占領期を終え、統一し、主権を回復するまでの時限法として制定されたものである。しかし、現時点でまだ正式な憲法は発布されていない。

    ドイツにおける占領軍は、東ドイツについては不明だが、さまざまな要求を西ドイツ政府に突きつけたとは思われるが、社会システムの構築に関して、強制的な介入は行なっていないようである。

    当時のヨーロッパ人からしてみれば、アメリカ合衆国など、喧嘩が強い成金のチンピラくらいにしか思っていなかったであろう。アメリカ人とて彼らの自主性を重んじたはずである。

    しかし、人種の違う日本人に対しては信頼も理解もなく、高圧的で支配的な態度で臨んだと言える。当時の世情からしてドイツに対する態度に比して人種的偏見がなかったとは言えない。

    少なくとも言えることは、大日本帝国はナチスドイツのような民族優位思想と民族絶滅思想に沿って政策を進めたわけでも何でもない。基本は幕末以降の西洋列強の植民地帝国主義に侵されまいと対抗していただけである。

    とはいえ、当時の状況からして、米軍が日本を単独で統治したこと、天皇陛下に会談後のマッカーサーの天皇陛下への信頼度の高さ等を考慮すると、被占領期の状況も不幸中の幸いという面も多い。

    だからと言って、アメリカによる、彼等の文化や価値観に完全に染まり切った英文憲法を現代にいたるまで保持すべきではないし、日本が真に自立し自主的な外交政策をとり、日本文化文明を保持し世界の進展に寄与するためにも、自国の文明と歴史観に沿った憲法の制定は不可欠である。

    (この文章は個人的なノートである。今後もさらに内容を深め書籍的なものとして充実させて行く予定である。)

    ドイツ基本法 トルーマン ハーグ条約 パリ不戦条約 ハワイ フィリピン マッカーサー 主権国家 二二六事件 保護国 厚木 大日本帝国憲法 天皇 幣原喜重郎 憲法第九条 戦時国際法 日本国憲法 昭和天皇 東久邇宮稔彦王 松本烝治 白洲次郎 立憲君主 第一次世界大戦 進駐軍・占領軍(GHQ)

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