8/1は父親の誕生日だから大体こんなことを書くのだが。
「俺は生きているうちは修行らしいことが何もできなかった。だから死んでから修行することにしたよ。」
父は、死ぬ数年前、独り言のように、そう語ったことがある。
死後、
「自分の仲間がここへ来ていないものか。」
そう思って靖国神社の境内にも足を運んでいるだろう。
父親の「修行」と自分の生き様とは重なっている。
戦後の恵まれたこの国の「恩恵」に預かるものとして、私は過去を見つめ、引き下がらぬ決意がある。
そうすることでしか、私が日本人としてこの地に生を受け今の時代を生きている真意を見つけることができないからである。人はやがて死ぬ。産まれ生きるということの意味。
私は小さいながらも、随分重い荷物を背負わされているものだ。そう思うことがある。
この国の戦後の大半は、自らの過去を、
「見ざる。言わざる。聞かざる。」
で過ごしてきた。
しかし、それは一面、「不遜」なことであると思う。
「あの時代」に生きた人々の大半は「無言のまま」この世を去った。
私は、あの世代の人間の肌感覚を分かる、数少ない日本人の一人だろうと思う。同じ世代では極めて少ないだろう。
しかし、誰であれ、日本人としての恩恵を受けるものはみな、先霊の積み重ねの中にいるのであり、今生きている人間によるのではない。「余慶」という言葉がある。(反対語は「余殃(よおう)」
今生きている者はそのことに気づかないだけのことだ。気づきたくもない、という者もいるだろう。
しかし、歴史は継続し、繋がっている。古代から。歴史に断絶はない。人の生にもまた、断絶はない。
過去を断絶されて生きている人を目の当たりにする時、私はそれを「無味乾燥」に見る。
過去から受ける豊かな感性を自ら封印し、矮小な時代感覚の中に閉ざされている。もちろん本人にそのような自覚はないのだろう。
過去を断絶した(された)人々にとって、未来にもまた断絶があるだろう。
日本では古来より怨霊信仰がある。人間にはプラスとマイナスの諸面がある。人がそのプラス面に想いを致せば、相手もまたプラス面から応じ、マイナス面で関わればマイナスの結果をもたらす。これは普通の人間関係と同じことである。
怨霊が、祈りを捧げ、御祀りした人々に対し、大きな善行を施す逸話があり、日本では古来より、謡曲や説話、伝承等の形で数多く残されている。怨霊信仰の真意はそこにある。
今、靖国は怨霊信仰の神社へと変貌しつつある。
それは、我々日本人が幕末から昭和二十年にいたるまでの国士的戦没者への真の理解を失いつつあるからである。
これからの日本と世界の為に、彼等怨霊の御霊を鎮めなくてはならぬ。
靖国神社の本殿手前の鳥居の左横あたり。戦没者の遺書が書かれてある。毎月なのか分からないが内容は変わる。
この文章を読んでどう思うかは個人の自由だが、古代から昭和二十年にいたるまでの日本の歴史とそれ以降の歴史とには、日本人の意識において大きな断層があることは間違いないことと思う。
戦前彼等が考えた「大東亜永遠の平和確立」という気持ちの、歴史の真実をもまた汲んでいく必要があるだろう。
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天皇陛下の御為に
陸軍曹長 木崎徹治命
昭和二十年 一月三日
フィリピンミンドロ島にて戦死
埼玉県北葛飾郡豊野村出身 二十三歳
天皇陛下の御為に、米英撃滅の決戦の大空に悠久の大義に就かんとす。
男子の本懐此れに優(すぐる)無し。
長年の御教訓に遵(したが)ひ死所を得たる徹治は幸福者です。
貧苦の中にも良き御l養育の道を戴き有難うございました。
徹治戦死の報あるも決して悲しんで下さるな。1日も早く病全快せられ、御母様共々末永く達者で御暮らしの程御祈り致します。
彰介は立派な人間になって下さい。小生の貯金その他は、弟妹達の教育費に御使用願ひます。
兄上木崎家の更隆を切に御願い致します。弟妹達仲良く身体を大切に勉強して立派な人間になって孝養を蓋(つく)すを怠るな。
嗚呼、大東亜永遠の平和確立の暁を見よ快なる哉。
徹治
父母様
兄弟妹様
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国のため命ささげし人々の
ことを思へば 胸せまりくる
昭和天皇御製
昭和三十四年
於 千鳥ヶ淵戦没者墓苑
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