子は親の鏡だと言われる。
引きこもりという現象は、戦後日本人の有り様の一つを映す鏡だと思ったことがある。
自分の部屋に引きこもり、社会に出て戦うことを拒否し、親が怒ると逆切れする。
「お前のせいでこうなったんだ。」
「親」が作った九条を絶対視していながら、反米を叫ぶ日本の戦後左翼に生き写しである。
とすると、戦後保守は、親の言いなりおぼっちゃまというところか。
江戸時代の身分制度(というよりは職掌制度)では、士族階級は、いざとなれば国のため、あるいは主君のために命を捧げる覚悟はできていた。金はそれほど持っていなくても、天下国家を語る資格もある。
農工商は、命を捧げる義務はないが、自分の仕事に専念し、お金持ちにもなれた。
事実、江戸時代の商人は武士よりもはるかに裕福なものが多くいた。ただし天下国家をどうするかに携わることはできない。
戦後日本には、士族階級は、アメリカ人が受け持つことになり、日本人は、「エコノミックアニマル」と揶揄されたこともあったが、ひたすら金儲けに専念し裕福な地位を築いた。戦後日本人は、農工商だけの社会になった。
だから、国家としての自主性も自律性もなく、天下国家を語る資格は剥奪されてきたと言ってよいだろう。だから日本に政治的、外交的リーダーはいないのである。それが戦後日本社会の特徴のひとつであろう。
日本人自身は、自分たちの国は、独立国であり、あたかも自らの意思で平和な社会を築いてきたようなつもりでいるが、実際は、国家を平和に導いてきたのは、士族階級なるアメリカ人達、あるいは、在日米軍である。
自分が子供の頃まで、よく親の世代の人々が、
「日本は、アメリカ合衆国日本州だな」
というようなことを皮肉交じりに言うのを聞いたことがあったけれど、最近ではそんなセリフも聞かなくなった。「慣れ」というものは恐ろしいものだ。
最近ある書籍を購入し読んでいる。フランスの言論人のインタビューを基にしたもので、ドイツが、ヨーロッパの中で帝国化しているという一種の警鐘本(『ドイツ帝国が世界を破滅させる』―エマニュエルトッド)だが、その中にこんな記述がある。
現代世界の中心たる西側ブロックと、ロシアとの関連性に関する記述、以下引用、
「前略 それは素朴なアンチ帝国主義者たちのイデオロギーでもあるのだが、そんなイデオロギーで魔法にかけられた世界に生きているならば、アメリカとヨーロッパ―日本は今もアメリカの保護下にあるとして―を連結する西側ブロックがロシアを抑えなくてはいけないし 後略」
海外の諸国家や評論家からすれば、日本はアメリカの保護下にある国家という位置づけなのである。
日本が、諸外国の中で政治的にも外交的にもほとんど発言力がない理由はこの一言につきる。しかし、海外の人々よりも、日本人自身にその自覚が欠けていると思われる。
そんなことを思いつつ、作今の安保論争など見ていると、バカバカしさを通りこして、滑稽の感すらある。米国の掌の上、ああだこうだと大騒ぎ。ネタがつきると醜い個人攻撃まで始める始末。人間のレベルが透けて見えてくる。
この現状を打破するにはどうすれば良いか。
これは半分冗談でもあるのだが、多少は本気の提案である。
士農工商の身分制度を復活した方が良いのではないか。ということである。
近代以降の民主主義社会においては、国民は等しく平等の機会均等の権利を有するが、同時に自らの国家社会が危機に瀕した時は、命をかけてそれを防衛する義務をも有する。
昔、社会党の石橋とかいう政治家が、スイス型の非武装永世中立国を目指すべきだと言ったことがあったが、「スイスは国民皆兵で各家庭には銃が用意されていて、いざとなったら、国民全員が兵隊となって戦うことになっているんですよ。」と言われた途端、自らの主張を引っ込めた。笑止千万であった。
それはさておき、いざとなれば命をかけて国家社会を防衛する義務を認めたくないならば、身分制度を復活すれば良い。農工商の身分ならば、国家防衛の義務は課せられないし、金儲けに専念し、贅沢三昧で面白おかしく暮らすこともできる。江戸時代の町人は世界で最も幸せな民衆であった。という話もあるくらいである。もちろん農工商の身分に天下国家を語る資格は持たない。
身分制度の復活といっても、代々固定の身分ということではなく、個人の申告制にすれば良いのである。そうすれば階級差別ということにはならないだろう。機会均等である。選択の権利を有している。
こうすれば、日本社会は今よりはずっとましな状況に落ち着くのではないか。
今よりもはるかにましな国家像を見いだせ得るようになる気さえする。
案外、日本人というのは、いまだ江戸時代の感覚から抜け出せていないのかもしれない。
下記動画は、酒田本間家邸跡にある施設の模様を写したもの。(山形県のHPより)本間家は、江戸時代最大の豪商と言われ、「本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に」と歌にされるほど栄えた。
