徳川慶喜がいなければ日本は大混乱に陥り、清朝同様、隙に乗じた西洋列強の餌食になっていたでしょう。
下記は大政奉還上表文の現代語訳。
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○十月十四日の徳川慶喜の奏聞。
天皇の臣である、この慶喜が、謹んで日本の歴史的変遷を考えてみますと、昔、天皇の権力が失墜し藤原氏が権力をとり、保元・平治の乱で政権が武家に移ってから、私の祖先徳川家康に至り、更に天皇の寵愛を受け、二百年余りも子孫が政権を受け継ぎました。そして私がその職についたのですが、政治や刑罰の当を得ないことが少なくありません。今日の形勢に立ち至ってしまったのも、結局は私の不徳の致すところであり、全く恥ずかしく、また恐れ入る次第であります。まして最近は、外国との交際が日に日に盛んになり、ますます政権が一つでなければ国家を治める根本の原則が立ちにくくなりましたから、従来の古い習慣を改め、政権を朝廷に返還申し上げ、広く天下の議論を尽くし、天皇のご判断を仰ぎ、心を一つにして協力して日本の国を守っていったならば、必ず海外の諸国と肩を並べていくことができるでしょう。私・慶喜が国家に尽くすことは、これ以上のものはないと存じます。しかしながら、なお、事の正否や将来についての意見もありますので、意見があれば聞くから申し述べよと諸侯に伝えてあります。そういうわけで、以上のことを謹んで朝廷へ申し上げます。以上
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明治以降、政治の世界にあって、あるいは陸軍と海軍の政争。各軍内の派閥抗争を鑑みるに、幕末維新における、それぞれの魂がいがみあい、結果それが第二次世界大戦における日本文明の崩壊に繋がった。
しかもそれは、戦後の政治抗争にも繋がっている。
日本海観戦の指揮官は東郷平八郎(薩摩出身)であり、真珠湾攻撃の指揮官は山本五十六(長岡出身)である。明治以降の国体を終焉させる機縁をつくったのが山本五十六であった。もちろん本人にそのような悪意があるはずもない。しかしこれこそが、私がここ最近Facebookで語ってきた日本史における魂の確執を表している。
戦後の政界の抗争もしかり。岸信介(長州出身)と、その後の田中角栄(新潟出身、長岡にほぼ近域)との確執。表面的には、親米、親中という形をとっているが、元を正せば幕末期の勢力争いの残滓がこういう形をとって争いの形態を形作っているに過ぎない。
親中、親ソの源泉は、戦前からの生粋のマルクス主義者達が、戦後の民衆の「米国憎し。鬼畜米英」との教育を受け、戦争が終わった途端に、アメリカ様になった権力者への「凄まじいばかりの怒りと失望感」を利用して勢力拡大を図ったものであり、それはある種、日本解体を意図する占領軍の目論見とも合致したからである。
このような日本人の魂のもつれを解消するには、明治維新において、明治以降の最大の魂である明治天皇の明治神宮と同様の「慶喜神社」の建立こそが必要なのではないか。
あたかも、出雲の国譲りに際して、出雲大社が建立されたことと同義である。(もちろん天皇と德川将軍家は対等ではないが)
これこそが、この国を真に一つとして、これからの真の日本国発展の礎にすべき中枢ではないか。
私はそう感じたのである。
(写真 : 東京谷中墓地 德川慶喜墓地 http://blogs.yahoo.co.jp/kadachi1957/55138610.html より)

