実話をもとにしているというが、であれば元ネタは正視に堪えないような凄まじい内容のはず。
それをコミカルに演出している。手法としてはどことなくフェーリーニ的。聖と性の交錯点とその真奥を描く。
主要なテーマは新約聖書の「コリントの信徒への手紙第13章」そのもの。聖書の言葉は強烈だ。それゆえに人を羽交い締めにする。時に、人を耐え難くして壊す。
不幸な生い立ちの登場人物たちと、彼らが関わるカルト宗教団体に絡む話。元ネタはオームかな。あるいは海外。アメリカのカルト教団かも。
園子温の作品には、人間の裏と表を逆さまにして表現しているものが多い。例えれば手袋の表を裏に、裏側を表にして、手にはめながら、あるいは皮膚の表と裏がひっくり返った状態で、ケラケラ笑いながらスキップしているような世界。
まさにむきだし。
4時間弱ある長作。かなり映画を見慣れてないと最後までみれない。完全にカルト映画だが、これは凄い作品。園さんの作品を見ていつも思うこと。よくここまで描けるなあ。
監督のエネルギーに脱帽です。
あと満島ひかりがすごく良い。彼女はこの作品で出てきたんだろうね。彼女が後半、砂浜でコリントの信徒への手紙を吐き出すシーンがあるが、恐るべき凄まじさだ。
しかし、ここで語られる「愛」とは何か。恐らく人間の考えているものとは全く別物かもしれない。聖書にある本質と、人間がそれを捉える時の乖離。それを表現しているようにも見える。
言葉は毒であり、人間を真実よりは狂気へと導く。
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コリントの信徒への手紙 第13章
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。
成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
