園子温の作風というか、ライフワーク的な表現スタンスは、人間の上っ面の、表面的な「装い」や「嘘」を全てひっぺがし、裏側に巣くう人間の感情を全部表側に出してゆく、というものに思える。
それゆえに、作品としてグロテスクになりがちである。
しかし、それこそが、現代人の処方箋であると、力説しているような監督の基本的な主張とコンセプト。
この作品も、やはりその例に漏れず、なかなか分かりづらくも、深みを感じさせる良作である。
人権とか、差別とか、平等とか、そういう「単語」「辞書的な簡易な価値観」を並べ立て、責め立てることだけで、社会の「正しさ」や「あるべき人間の姿」を強要するかのような現代人的な、あるいは現代社会的な感覚のなかで生活する私たちの日常を切り取る。
上っ面で表面的な、感情のない、真実を押し殺したような、心の死んだ、人間関係が世の中を覆う。嘘くさい社会とそこにいる人間たち。
そういうことへの危機意識を園監督は、常に意識して作品化を進めているように私には思える。
現代人的悲劇の本質とは。
その意味で、「唯物主義者」の生み出した「理屈だけが独り歩きする」「冷血な」現代社会。というものへの拒否感といった、私自身の感じているものとどこか相通じるものがあるのである。
