西洋文明は孤独の文明だ。
彼等は自らの信仰の中で、個の魂と神とのつながりを求めてきた。
それは崇高で美しい。
一人一人が完全に孤立した中で神とつながる。
その絶対的な崇高さと寂しさ。
ゆきつくところは、個人主義とか。
彼等の描く世界は常に美しく崇高なものを見せる。
しかし、どれだけ追い求めても、いや求めれば求めるほどに哀しさと寂しさがつきまとう。
それゆえに美しく、詩的である。芸術的な表現としては最適なものだ。
しかし、そこに生きるものとしての重厚さや「本質的な」豊かさはどうなのか。
彼等の描く、ありとあらゆる美しい世界。
心に残る感動的な表現世界。
そこには絶対的な「孤独」が横たわる。
彼等の魂に、本質的な豊穣と深淵さが欠けている。
彼等にとって「静寂」とは「孤独」であり審美的世界であろう。
その「絶対的な孤独」を彼等は彼等自身の力で解決することができない。
それが西洋的な「アート」の世界だ。
それが彼等にとって、究極であれば、あるほど。
個と神との繋がりしか許されることのない文明における個の魂の絶対的な孤独。
ここに書いてきたことの意味が分かるものがどれだけいるだろう。
日本人は、自らの孤独の絶対的な世界を「自然」の中にたたずむ自分と解する。
「孤独」もまた多様なものであるということを「無意識」のうちに知っている。
日本人にとっての究極のアートは「孤独」ではなく「豊穣」であり「深淵」である。
「全体」である。
それを日本人は確信しなければならない。
(写真 那智瀧図)

