日本人は幕末明治期の「大難」を乗り切り、ギリギリのところで自らの文明を保持している。明治以降の流れの中で日本は世界の強国に躍り出たが、結果西洋に惨敗した。
その結果として、現在の日本があるが、もはや完全に欧化したのかとも言えなくもないが、とりあえず国家としての自立性は「最低限」保持している。そのギリギリの一皮が「天皇」の存在かもしれない。
西洋の没落という話は、第一次世界大戦前後から、彼等自身の中から発されてきた話ではあるが、今日にいたり、その流れが決定的なものとなっていると言えるだろう。
皮肉なことに、彼等自身が推進してきた、西洋的価値観の世界化、としてのたゆみない営みの結果として、それが彼等自身の産み出した「グローバリズム」という世界の「一元化」への試みの結果として、それ自身が、反西洋たるイスラム社会からの「テロリズム」という反抗を生み出した。
一元化と一元化。一神教と一神教。この磁石のプラスとプラスの対峙から起こるテロリズムによって、自ら構築してきた社会、世界というものが内側から崩壊させられつつある。
それは同時に、民主主義と平等。という彼等の近代の核となる思想による、例えば、無限の移民の流入からなる、結果的に自ら暮らす社会及び広範囲の意味における文明の「マイノリティー化」が促進されている。
自縄自縛。自滅。ミイラ取りがミイラになる。
とはこのことであろう。
畢竟、我が日本においてはどうなのか。日本古来の価値観を考えてみる。
「全ての世界は有機的に繋がっており、人もまたその一部であり、部分である。そしてそこには神々がおり、天皇の祈りに見守られている。上下平等という概念にこだわることなく、人々が笑いながら穏やかに暮らせる世界。どんな人間にも役割があり、そこに「道」が生まれ、人それぞれに人格と尊厳を与えられていた世界。奴隷制度がかつて一度も政治制度の中に存在しない社会。法律による強制がなくても人々が規範を進んで守ろうとする社会。それが閉ざされた空間の中において奇蹟的に実現された日本という社会。」
それは、人跡未踏の秘境に、この世の最上の世界が温存されていたというに近い。
その世界観は、「理屈」「理論」を超越したところで営まれてきた。そして、そこに生かされてきたのが日本人。
明治以降に日本人が失ったものが何かを考えると、そういう「世界観」が崩されたということだと思う。誤解を避けずに言うならば、有史以来、無意識のうちに、あるいは奇蹟的に、「自動的」に、そのような世界の中で生きることができたということ。
明治以降の日本人はそれに大いに苦悩した。新しい波が物凄い力、圧倒的な力で押し寄せる。それによって、「削られてゆく」日本人としての「ユートピア」。
しかし、そこを経なければ、今頃は、ハワイのように、あるいは朝鮮半島のように、外国の支配下に完全に服従し、自らの文明の核を失っていたであろう。
さらに言えば、西洋の優れた技術を、あの当時において、ほとんど瞬時にわが物とし、返す刀で西洋に対峙しえたという奇蹟も忘れてはならないだろう。
しかし、その一方で、その代償も当然存在した。今現在の我々をも含めて、明治以降の日本人に与えられた課題は、我々日本文明の「意識化の必要性」ということだ。昭和二十年頃までは、それを必死で行おうとする、あるいはその問題に苦悩し戦う、日本人の姿があった。
しかし、日本国憲法の制定を持って、それは完全に断たれたかのように思われた。
そして、その後70年近くがたち、今ようやく、自らの失われた文明への「意識化」の作業を再び始めなければならないと、日本人自身が感じはじめているというのが、現状かと思う。
現代のような世界の中で、かつての日本のように、日本人が「日本文明」という「奇蹟」の中で、子供が母親に抱かれるように、無意識のうちに守られるということはもはや不可能である。
現代の日本人に課せられた課題は非常に重い。しかし、その重さに今の日本人が耐えられるのか。あるいはそれをしっかりと自覚しうるのか。これが最重要の課題であると言えよう。
有史以来、日本人は自らの文明の意識化の作業をほとんど行ってこなかった。
その意味で、これを意識化し、具体化し、表現し、主張することの困難さが全ての日本人に伴っている。
しかし、これを完遂しなければ、世界の次なる価値観を、ネクストステップを踏み越えることはできないのだという自覚を持つことが必要であると確信している。
(写真 : 橿原神宮、美保神社、武蔵野稜)



