流罪された天皇は、歴史上何人かいるが、配流先は主に、
隠岐、佐渡、四国などである。
隠岐
後鳥羽上皇(承久の乱にて)
後醍醐天皇(南北朝動乱にて)
佐渡
順徳天皇(承久の乱にて)
四国
崇徳上皇(保元の乱にて讃岐)
土御門上皇(承久の乱にて土佐)
崇徳上皇は祟り神として有名である。
白峰陵(崇徳天皇陵 香川県坂出市)
白峰神宮(崇徳天皇を祭神とする 京都府京都市上京区)
後鳥羽上皇、土御門上皇に関しては行在所などがそれぞれ隠岐神社(源福寺)、阿波神社として史跡で残っている。後鳥羽上皇の皇子は多数あったが隠岐にその足跡があまりないように思われる。土御門上皇も二十人ほどの皇子女があったようだが、配流地に足跡はあまり残ってはいない。
後醍醐天皇は隠岐に配流されるものの、脱出し周知の通り吉野に遷座されることとなる。
最後に、佐渡に配流された順徳天皇であるが、これはなかなか奥深い歴史があるようだ。最近はネット上に、地元の人たちが、その土地の詳しい歴史を掲載しており、大変興味深く有難い。
順徳天皇の終焉地とされる場所へ行った方のレポートがある。地元の人でも辿り着けないほどの難所であり、情報もほとんどないというが、この山奥に石碑がある。
病苦のあった天皇は、都に帰ることはできないと悟ると、この場所で断食を行い、自らの頭に焼石を載せて崩御されたのだという。
天皇の歴史の中でも極めて壮絶なる崩御だと言わねばならない。
順徳天皇崩御の地のレポート
また天皇には配流後に三人の皇子女をもうけられ、それらの陵墓が残っており、これもレポートがネット上に掲載されている。天皇はこの地で二女、一男をもうけられたと言う。
第一皇女 慶子宮
第二皇女 忠子宮
第一皇子 千歳宮
それぞれ陵墓と祭神となる神社がある。陵墓にはそれぞれ宮内庁管理の看板が建てられている。
第一皇女の慶子宮を祀る神社は、一宮神社とされている。
第二皇女忠子宮の陵墓並びに二宮神社
第一皇子・千歳宮の陵墓もある。
お祀りされているのは、三宮神社である。
配流の身となられた天皇は数名おられるが、配流先における歴史が色濃く残っているのは佐渡であろうと思う。ちなみに、順徳天皇の皇子には後に皇位に就かれた皇子(仲恭天皇-九条廃帝)もいる。
みそぎはらへ 二九八二一

