霊的な世界が物質界に比して優位であることの説明は、まず物質界にいる場合、衣食住が必要であるということ。
そのため、人は人生の9割以上のエネルギーをそこに費やさざるを得ない。
霊的な世界ではこの全てが不要であるということ。
それだけ効率が良いということだ。
とはいえ、霊的な世界から物質界に直接手を加えることはできない。
しかし、古事記にも聖書にも神々による天地創造の話がある。
これは、神々が直接物質を動かしたり創ったりしたということではない。
一般に、物質界で起こることは、その少し前に既に霊的世界で起こっていると言われる。
だから、予言などが可能になる。時折人が、霊的世界で起こっていることを見せられるということがある。また、物質界でもその「予兆」を見ることはできる。
天地創造というのも同じことで、霊的な世界で何かを構築するとそれはやがて物質界においても実現するということだ。
現代人は「科学的見地」とやらで天地創造の話を、ただのおとぎ話、作り話、あるいは夢物語だと言うが、その見解は誤りである。
神々と言われる「意識体」が物質界に対して何かを働きかけるために、霊界で何かを構築すれば、それは物質界でも実現する。
しかし、それは常に起こっていることなのか。
どの程度の頻度で「神の手」が加えられるものなのか。
それは分からない。
ただ、何か「新しいもの」が物質界で生み出されるような時には必ず霊的世界の介在があるものと考えるべきであろう。
しかし、神霊的な世界の立場からすると、敢えて物質界と関わる必要はないのかもしれない。
必要だと感じた時にだけ何か行う。
頼まれた時だけ何かを行う。
そういうことかもしれない。
霊的な世界から見て、物質界というものがどれほど必要不可欠なものであるかは、我々人間には理解できない。
古代から、人が神々に対して働きかけを望んだから、神々は施しをしてきたのだと言える。
人は神殿を作り、神々の意を伺い、また祈願してきた。
一方向的な働きかけでしかないように感じられる。
しかし、天地創造を神々が行なったとすれば、それは神々の発意からである。
しかし、霊的な世界から見たら、「この世」というのは一つだけとは限らないかもしれない。
だから神々も色々と忙しいのかもしれない。
だとすると私たちのことを忘れかけているのかもしれないし、行方をただ見守っているのかもしれない。
ただ霊的な世界も複層的である。
神霊、人霊、自然霊など。
どのレベルでどの程度「霊的世界」が「物質的世界」に関わっているのかは私たち人間には分からない。

