最古の住吉神社であるといふ
神社内に、最古住吉宮であるということが書いてある。宮司に聞けば、
「住吉神社は神功皇后三韓征伐の帰途、住吉神による戦勝に感謝して建立せられたもので、帰途上の通路で考えれば壱岐が最も初めになる。」
のであると。
「当神社は四大住吉、すなはち壱岐、長門摂津、筑前に入るが、通常は三大住吉ということで壱岐が外れることもあります。」
ということだ。理屈でいえば確かに壱岐が一番始めかもしれない。
普通住吉と言えば摂津(大阪)の住吉が最も有名なのは周知だが、長門摂津の住吉は明らかに三韓征伐の帰途上に勧請されたものであろう。
筑前は、住吉最古社と言うが、イザナギが黄泉の国より戻った後、
筑紫の日向の橘の小戸のあはぎはらに禊払給いし
時、綿津見三神と共におうまれになったのが住吉三神ということで、その場所がここ筑前の住吉神社の場所であるということになっている。
神功皇后が三韓征伐に行く際、住吉神の神がかりがあり、神託が降りたということで、住吉神社が三韓征伐以前から何処かに住吉神のお社が存在したのか、神がかりが起こり、三韓征伐後に神社を建立したのかは定かではない。
しかし、筑前の住吉神社は、神功皇后に住吉神が神がかった時点で既に神社が存在したものと考え、当社を最古としている。
壱岐 住吉神社の由緒書を見ると、
「御凱旋の為軍越神事を定め臣安倍介麿に壱岐島を賜ひ大宮司としてその子々孫々をして永く奉仕させた、異敵降伏国家安泰の神秘を行ふ軍越神事の秘法を伝えしめたまふ」
とある。さらに、
「当神社は神功皇后帰陣の際、御神祭の由緒深き古社にて即ち住吉神社の草分けとも申し奉るべき日本最初の住吉神社総本宮なり次いで御鎮斎あらせられたる長門摂津、筑前の住吉神社と共に日本四大住吉の一にして古来式内名神大社長崎県下筆頭の古社として知られたり」
と言う。
みそぎはらへ 二九十一十






