対馬に安徳天皇生存伝説と天皇陵がある。
安徳天皇生存伝説というのはいくつかあるが最も信憑性が高いのは宇佐八幡神主家の宇佐氏家伝安徳天皇すり替えの話であろう。
これについては宇佐氏神主家が書籍を出している。
今回対馬を車で走っていたら、「安徳天皇陵」と言う立て看板が道路脇にあったので不思議に思い訪れてみた。
車が一台ようやく通れるほどの道があるものの、ほとんど人が訪れることがないであろう農道のような、林道のような山道を山の上まで上がること5ー6分。
道が行き止まりになって小さな駐車スペースが設けられていた。
そこに詳しい案内板がある。以下、
対馬の中世史は宗氏の入国に始まる。宗氏の出自は諸説あるが、ここ久根田舎の住民は古くからこの土地の字名は全て安徳天皇にちなんだものと伝えられているという。
そして村人はみな宗氏を安徳帝の直系だと信じているのだという。
説によれば、壇ノ浦合戦の際、従臣斎藤為持が帝を抱き筑紫に逃れた。筑紫の少弐資頼が鎮西守護となり密かに天皇を奉じると、帝は島津氏の女を娶り、二子をもうけられた。これが初代宗重尚、二代助國であるという。
寛元四年、宗氏が対馬を領すると筑紫吉井から安徳帝を迎え、この地に御所を設けた。建長三年(1251年)四月十五日、七十四歳で崩御という。
当山付近は、御所があったところで、陵墓は末広がりになっており、納言殿塚、重臣や御乳母女官墓があり、天皇御料の馬塚犬塚などの古墳があるという。
安徳天皇陵とされるところには宮内庁の案内板があり、「佐須陵墓参考地」となっており、単なる伝説の域を超えた何らかの信憑性を感じさせるものである。





