私がこれまで全国の神社を歩き、さまざまな土地の伝承や神社の由緒、あるいは土地に漂う空気感。こう言ったものから感じていること。
スサノオは出雲及び朝鮮半島南部を統べた、あるいは大きな影響力を持っていたと感じている。
「匂い」などあやふやなと感じるかもしれないが、私は最も重視している。「匂い」というのは必ず残るからだ。これがわかるようになると真実に一層近づいていくだろう。
近年の出雲ブームで、スサノオが大きな存在になっている。出雲は消されたんだと。不比等の陰謀だと。
消されてるなら神社からスサノオの名前は消えているし、出雲、紀伊地方及び各所に出雲系の神社が大量にあることの説明になっていないと思う。
確かに記紀にもある通り出雲勢力の政権移譲はあった。それはあたかも明治維新に起こったこととほぼ同じような状況だったと思う。
歴史は繰り返す。
近年になって、スサノオとニギハヤヒの影響圏に関する記述が拡大されているように思うが、スサノオは出雲及び朝鮮半島南部以上に勢力圏が拡大したことはないだろう。
ニギハヤヒは大和地方を中心とした関西あるいは近畿地方が影響圏になる。
神武がなぜ初代天皇とされているかといえば、初めて九州、四国、本州(東北の一部地域を除く)の初期日本国全域を統一したからであり、これ以外の理由はない。
それ以前の初期日本国の概要は、九州地域、中国地方から北陸地域と朝鮮半島南部、そして近畿地方の3つの勢力が存在した。
ニギハヤヒの出自は、主に原田常治氏「古代日本正史」以降スサノオの子であるというのがコアな歴史家の中で語られることが多いが、私は未だこの点に確信が持てない。
オオクニヌシという存在は、記紀ではスサノオの子であるということになっているが、これも出自が極めて不明である。
出雲 紀伊以外の地域でスサノオ系神社があるのは、多くは国造などが出雲から派遣されたなどの理由がある。
北陸及び長野地域には、出雲国譲りで従わなかったタケミナカタの事績が多い。
一方で、新羅、高句麗、百済などからの戦乱や滅亡に際しての亡命者が居住した地域と出雲系の影響圏のあった武蔵國等などが重なっている。
百済、新羅にはもともと倭人が多く居住しており、日本が朝鮮半島からの影響力を失った後も居住し続けたものも多いのではなかったか。
朝鮮最古の歴史書「三国史記」には、新羅の初期の王族は倭人であったと記載がある。
瓢箪を腰にぶら下げた倭人が海の向こうからやってきて、善政を敷いた。脱解という人物。彼はやがて新羅の王となり、初期十数代の王の先祖ともなっている。
出雲に関して不思議と今感じていること。
イザナミは出雲へ向かい、スサノオは黄泉の国に追放されたが、スサノオの追放とは、実は出雲追放ではなく、朝鮮半島への「追放」ではなかったか。
脱解という新羅の王になった人物とスサノオの関係はあるのかどうか。
今この辺に興味がある。
(写真 小石川 簸川(氷川)神社 )


