日本人のルーツをいろいろ辿ると、多くは三方向からの侵入ルートがあり、そこから列島へ移入し融合してきたことがわかる。
一つは、南方からのルート。私はこれが移入ルートとしては一番古いと考えている。南方とは即ち、東南アジア方面から台湾、沖縄を経由して北上して辿るルートであり、一部中国大陸の南部から海上経由で入るルートもある。
ミクロネシア系、中国地方南部、東南アジア系の諸民族がこのルートで日本に入った。
またさらには、遠くはインド、メソポタミア地域からの移入もあり、これが日本文明の形態上の核のひとつにもなっている。
次に、北方ルート。ユーラシアの極東北部からカムチャツカや樺太、沿海州あたりを経由して入ったルートで、アイヌ系(アイヌと同系列の分布は広く、シベリアのみならず、遠くは北欧の北部域にまで達する)、満州系、ロシア系などの諸民族がこのルートから入った。
最後に半島系ルート。これは時代的には一番最後に入ったルートである。一般的にはこのルートしか話題にならない。だからあたかも全て半島経由みたいな風にとらえられがちであるが、誤りである。時代的には一番新しい。
このルートは言うまでもなく、朝鮮民族、中華民族、あるいは満州地域の諸民族や蒙古族にいたるまでが、このルートを経由して入った。またここからの経由で、上記2ルートから入った諸民族も混入している。
飛鳥、奈良、平安期の帰化人はこのルートに含まれる。
そして最後に、これは4番目のルートというか日本列島のオリジンに属する部分であるが、これは間違いなく、太平洋文明圏、すなはち、沖縄、ハワイなどを含む、俗な、分かりやすい言い方でいえば、「ムー」に属する文明圏をかつて構成した人々がこれに加えられなければならない。この人々の残した文明の痕跡が、神道の大元の部分に存在しているということになる。
「神々」「土地の神霊精霊や自然霊」「先祖霊」の三位一体の祀りの仕組み。
ここにメソポタミア文明系列の、文明としての影響力を高める役割としての軸足となる、「天皇の原理」すなはち文明の「御柱」となる「祭祀王」の概念が加わることで日本神道は完成した。その後、中華文明の要素がこれを補強してゆく。
日本という国は、民族のDNA構成比で見ても世界に類例がないほど多彩であり、アジアでは日本にしか存在しないDNAの配列を持った人もいるという。ミトコンドリアハプログループとか、塩基配列とか、そういう類の話。詳しいことはここでは書かない。
このように考えると、日本民族というのはそもそも単一民族とはほど遠い多彩な融合民族であることがわかるだろう。文明的にも多彩な融合文明の色彩を常に孕んでいる。
では日本民族とは何か。
日本民族とは即ち、日本列島、即ち大八洲(おおやしま)という土地の中で、魂や意識が練りこまれ、磨かれた人々のことを言うのである。
この土地には人の魂を磨く力の源泉が今でも存在していると考えねばならない。
「魂磨きの土地としての日本」という概念。
万人は、この土地に暮らし、この土地の生き方に同化し、あるいは理解を深めつつ、生きているだけでやがて彼らは「日本人」へと変貌していく、あるいは練り上げられてゆくのである。
この土地に生き、暮らすだけで、自然と魂は練られ、そして磨かれてゆくのである。だから元来日本には思想というものが希薄なのである。
思想という「不完全なもの」は必要なかったからである。なぜなら思想というものは人間が人間のわかる範囲内のことを言語化したものに過ぎないからである。
真理とはそれよりもはるかに豊かであり、深淵であり、多くは人間の理解できる範囲を超えている。だから「思想などというもの」は所詮、真理からすれば前菜みたいなものに過ぎない。
ひるがえって「教え」という人間の創作物に過ぎないものには所詮限界があり、また人間社会の価値意識というものはその時代時代に応じて目まぐるしく変化して行くが、当然ながら「教え」はそれについてゆくことができない。柔軟性にも乏しいのである。
大八洲とは、そこに暮らすだけで、世界の宗教が強固な教えを持って目指そうとするものを「無意識」に「自然」に達成へと向かわせるものが土地の中に内蔵されている場所である。
聖書に曰く「約束の土地」とはこのことである。
従って、多くの日本人が自分のことを無宗教だとしか認識していないのに、生き方として、日常生活の中で、あるいは社会全般が、既に他国が「宗教的」と考える状態に到達している。
それは仕事の中にもある。人間関係の中にも存在している。社会意識の中にもある。
だから日本人として生きていくことはなかなか難儀であろう。
生きること=「自然と修行」になるのであるから。時として生き難い。
こういう考え方は仏教思想とか禅思想とかが深く影響しているとも言われるが、大八洲においては、生活者=修行者=信仰者である必要はないのである。
日本の謎の秘密はここにある。多くの外国人がこの国を深く知れば知るほど分からなくなる、ある「謎」の秘密。なぜ日本では。なぜ日本人は。ということの真意がここに隠されているのである。
外国人はこれを「日本人の思想」として解釈しようとする。それは何処にありやと問う。しかし日本人からの適切な回答はなく、そうなるとさらに分からなくなり、不気味であるとさえ思うようになる。
非常な警戒感を持つ場合もある。戦後における、米国の日本の捉え方の中にもこれがある。だから願わくば亡きものにして、アメリカ化してしまいたい。そう思うのであろう。
では、そのような土地はいかにして醸成されたのか。
ここで「神道」というものが出てくる。それは神々をその地、その地域に宿し、これを育んできた歴史の中にこそあるのである。
土地や地域を聖域化、あるいは神格化し、あるいは霊化する。そしてそこに先霊や自然霊を祀ることでさらに土地を醸成し練りこんでゆく。
土地そのものが「一体」として「魂磨き」している状態になっているのが日本列島という土地の「意義」であり「意味合い」であり「必要性」ともなる。
そしてそのような意味合いを持った土地に「人々」がその恩恵を受けて暮らしているわけである。
これが神道の、あるいは日本文明の最も重要な意義であり核となる。
では日本列島以外の土地でこのような作用を引き起こすことは不可能なのか。
日本神道は選地思想、選地保守であると書いたが、日本列島、すなはち大八洲が唯一という意味ではない。
そうは思っていない。しかし「大八洲」こそが、未来世界の、未来文明の雛形になるはずである。
写真:対馬

