意識世界・霊的世界での活動がまず先行し、その後それが物質界に反映される。
これに先行して(というか同時並行的に)、意識・霊的世界で起こったこと、あるいは活動情報を取得する行為が「予知」「発明」「創作・創造」活動となる。(詳細は一つ前の記事)
このプロセスに対して、その逆のプロセスが祭儀と祈りの意味となる。
人が祈りを捧げることで、「願い」を物質化する。神々に思いを伝えることで神々にそれらの思いを意識化していただく。
神々が人の願いを意識化すること=物質化へつながる、というプロセスになる。
もちろん「願い」が物資的なものばかりではないし、それらの「願い」を神々が聞きとどめるかどうかは分からない。
いずれにしても我々人間社会に自らの願いを反映させたいという思いを意識・霊的世界、すなはち神々にお伝えするという行為が祭儀であり、祈りである。
「祝詞奏上」とはまさにそのことである。
神道の祭儀の手順はおおまかにみると、
潔斎(禊)を行い→神々をお迎えし→供物を捧げ→祝詞を奏上し→歌舞音曲を奏上し→供物を撤収し→神々にお帰りいただき→直会(参加者に供物を共有いただく=参加者と神々との共有する時間=おすそわけ)
ということになる。
密教での行法、例えば、金剛界法や胎蔵界法などの修法もほぼこれと同じプロセスである。
ただし、密教の場合は、結界をめぐらすということがあり、神道で言う祝詞奏上の前に、仏神との一体化、すなはち、「入我我入」を行い、修法者と仏神を一体化させる儀式を行う。(神道でも同じプロセスが加わることもある)
人から神々へというベクトルにおける唯一の働きかけ。これが祭儀の意味であり、祈りの意味となる。

