先日、明治維新から現代にいたる歴史的プロセスの起点に信長がいると書いた。
信長の天才的先見性とそれを現実化するための果敢な行動力と発想力。
松陰の才気ほとばしる先見性と過激なまでの行動指針。そしてそれを支える国への激烈なる思い。
支配者と教導者という立場の違いはあるものの、過激な革命家(あるいは革命的変革者)という意味でも、その気質においても両者には共通点がある。
この二人が、心中に秘めた「国のかたち」を理解するには百年かかるだろうと、本人たちはそう思っていたに相違ない。
先週、吉田松陰の末裔の方とお会いする機会があり、お話を聞いたり、文章を拝見するなどしているうちに、ある言葉が浮かび出た。
「命をかける。身命を賭す。命に代えても。などという言葉を簡単に言う人がいますが、まことに耐え難いのです。玉木家(松陰の生家)は、男はみな死に急ぐものばかりで、残ったものは女ばかり。後に残されたものがどれほどの思いをしたことか。考えてほしいのです。」
その言葉のすぐ後ろに、吉田松陰が影のようにぼんやりと浮かびあがる。するとその言葉の重みにずしりと刺さるものがあった。
男の影に女あり。女の影に男あり。相反するものが共に交わりながら人間社会は成り立っていく。
「死は好むべきにあらず、また悪むべきにあらず。道尽き心安んずる、すなはちこれ死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり、心死すれば生くるも益なきなり、魂存すれば亡ぶも損なきなり。死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあればいつまでも生くべし。僕が所見にては生死は度外におきて、唯、言うべきを言うのみ。」(『松陰全集』より)
檄文である。
するとこんな謡の文句が浮かび上がる。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり 一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」
信長の辞世の逸話に出るこの謡は、松陰の言葉と意味するところは少し違うものの、死生観に流れるある共通性を禁じ得ない。
このような言葉を言う人のごく身近にいる人々にとっては、我々が知るよしもない、さまざま複雑な思いがあるに相違ない。
しかし、松陰という、維新の「金字塔」が日本と、そして結果的に世界史を回天させる機動力・原動力になったことは疑うべくもない。
信長に始まり松陰に帰結する。
過激な二人の革命家(あるいは革命的変革者)は一瞬にして時代を駆け抜け、そして去った。

