孤独という人の想念については古今多くの人々が思考し直感し、語り続けてきた問題の一つである。
個人主義が西洋に勃興しそれが世界に広まるにつれてこの問題はその重要さと深刻さを増しているかに見える。
どれほどそれについて語ってみたところでそれ自体の本質的な問題が解決することはなかった。
しかるに、個が個であり、その個としての人間が、あるいは魂が、孤独を感じるのは逃れられない。
日々多くの人々に囲まれて和気あいあいと暮らしていればそれを感じることはないが、人が全て去り一人になった時、たちまち孤独感が襲う。
人といる時は、個は個としての自分を感じることなく生活可能であり、要するに忘我でいられるからであろう。
しかるに個が個でないとするならば。
我は集なりとするならばどうか。
我の中に無数の魂魄の思念や意思が同梱され、一つの個としての体裁を取り得ているという。
全ての物質は、なにがしかの寄せ集めで成り立っている。それは常に変化している。一つの「不動の物質」として永遠にとどまることはない。
しかるに個とは何か?
それは一時的の寄せ集めに過ぎない。
それが我を我と感じ、日々あれこれと動いているのでろう。
しかるにそれがひとたび散じれば、また別の要素と寄せ集まり、個を生じる。
個は一時的のことに過ぎない。
個は集であり集は、結論的に全へと繋がる。
そう考えて行くと孤独という概念は本来存在しないのではないかと思われる。
従って私たちは孤独を感じる必要はないということになる。

