日本の戦前期における対米関係には大きくみると三つの大きな失策があり、この三件に関して失策がなければ、対米戦争の回避、あるいは損害を最小限に抑えられたと考えられる。
まず一つは、日露戦争の戦費が不足していた際、アメリカの鉄道王ハリマンと実業家シフらが、日本に対して巨額融資を行ったが、ハリマンらは戦後の見返りを期待してのものだった。
日露戦後、ハリマンは南満州鉄道事業に加わらせて欲しいと提案してくる。ハリマンからすれば自分が金を貸したから日本が勝てたんだ。そのくらいの権利を主張できるはずと考えていただろう。
当時の首相桂太郎他、主要な政治家の大半はこの提案を基本的に受け入れる方向で意見が一致していたが、外相小村寿太郎がただ一人この提案に激怒して、なかば強引に反故にしてしまう。
日本人が血を流して得た権益の半分を無傷の米国が手にするなど日本国民が許さないだろうということや、いくつかの問題点があったようだ。しかし、完全に拒否するのはまずかった。
ハリマンは激怒し、これがきっかけとなり、米国の対日感情は決定的に悪化する。これ以降、米国が日本を仮想敵国とするようになる。
二つ目は、先日記載した、河豚計画の頓挫である。河豚計画が実現し、ユダヤ人の移住が行われ、アメリカ資本を満州に引き入れることができていれば、日米関係はかなりの程度回復し、米国は対日戦を急ぐような真似を起こさなかったであろう。起こさなかったというより、起こせなかったと考えた方が良いかもしれない。
しかし、この計画も日独伊三国同盟が深化していくに従い、頓挫していく。これは松岡洋右をはじめ、当時の政治家や軍人たちの国際情勢判断が性急過ぎたことが原因であろう。松岡洋右は戦後悪人呼ばわりされているが、彼の判断は、当時の国際情勢に照らせば、かなり深みのあるものだった。しかし、ナチスドイツに対する見方に慎重さが欠けていた。
彼は、共産主義を牽制し、当時世界の最大覇者アングロサクソンをも牽制することで、日本の存在感を示す、あるいは自らの地位の安定化を図るという図式であったはずである。ウルトラCを狙いすぎたのかもしれない。
そして最後は、日米戦突入が決定した後のこと。当時、海軍軍令部も陸軍参謀本部も、日米戦に関して一定の計画を持っていた。海戦に関してはできるだけ日本近海まで米国艦隊をひきつけてこれを迎え撃つ、という日本海海戦型の戦術であった。しかし、山本五十六がただ一人この基本作戦に猛反対し、無理やり真珠湾攻撃に切り替えさせた。
確かに戦術面だけ見れば、真珠湾攻撃は世界戦史上のエポックメイキングな闘いであり、華々しい戦果であったには違いない。しかし、当時8割以上の米国民が戦争突入には反対であったものを、日本に対して激昂し、徹底抗戦の意志を固めさせてしまうという、戦略上の大失策である。(もちろんそれが当時の米国大統領ルーズベルトにとっては願ったり叶ったりであったことは近年の研究で明らかになってきている)
日本海海戦は戦術的にも戦略的にも成功したが、真珠湾はそうではない。
ゆっくり宣戦布告して、日本近海で米国艦隊を引き寄せて、迎え撃っていたら、日本側の損害もある程度出ただろうが、当時の軍事情勢からして、日本の勝利はほぼ間違いなかっただろう。そこで米国内の厭戦気分をさそって優位な戦争終結に持っていくことは充分可能だった。
そもそも短期決戦というのが日本の基本戦略であって、長期戦なら米国には絶対勝てないというのは、山本五十六にしたところで当時の軍人達の一般常識だったんだから。彼の戦術は結果的に本末転倒となった。山本五十六は米国人を「ブチ切れ」させた。
戦後山本五十六を異常に持ち上げる風潮が流行ったが、個人的にはあまり評価していない。
以上、この三つが戦前期における日本の対米政策における決定的な失策であり、この三つのどれか一つでも回避できていれば、対米戦は回避され、あるいは起こったとしてもあれほどの大損害は防げたはずである。
大損害とはそれまで積み上げてきたもののほぼ全てを失ったという意味である。
しかし、大きく見ると、アメリカもまたアジア政策に関しては、日本を敵に回したことで失敗したと言えるだろう。満州は自分のものにはならず、中国はソ連の手に落ちた。
(写真:鉄道王ハリマン)

