忌部氏と中臣氏は共に祭儀を司る役割を持った氏族であり、忌部氏は、神武から数代にわたり天皇家と深い関係にあった。
神武から数代に渡る天皇の后は忌部氏系であったと推察される。この時期天皇家の拠点は畝傍山の周辺、葛城地方にあった。
その後天皇家が三輪氏(物部氏)系列と深い関係を結び、なおかつ物部氏が権力を失って後、中臣氏が天皇家の祭儀の中心になるに従って影響力を失っていったようだ。
徳島県(阿波)は、忌部氏の拠点だが、戦前のこの地方の忌部氏に関わる資料を見ると、忌部氏は応神天皇の時期に、大和地方に大乱が起こり、難を逃れて阿波に渡ったとされる。
忌部氏は、その後朝廷に麻を献上する役割を担った。
阿波国一之宮大麻比古神社は忌部氏に関わりの深い神社であるが、その名の通り、麻と関わる神社であり、社紋も麻をモチーフとしたものだ。
この社紋が、ダビデの星(六芒星)に類似していることから、忌部氏=ユダヤ人説が起こり、かつ阿波、淡路地方にユダヤ教の祭祀施設に極めて酷似した祭祀址があるということで話題にもなっている。
大麻比古神社の祭神は猿田彦であるとか、あるいは忌部氏の祖神であるとか言われるが、恐らく両者には何等かの関係があるだろう。
猿田彦もまた、五十鈴彦(イエズス)とか、ユダヤ人説のある神である。
阿波に下った忌部氏は、その後、紀州や房総の安房地方にも赴いた。
房総にある安房神社は、阿波国の大麻比古神社に配置及び空気感にいたるまで極めて類似しており、大いに興味をそそられる。
安房神社は、大化の改新の時、唯一神社の私有が認められた八神郡が制定されたがその中の一社に数えられている。これが日本国の古代における主要八社であり、古代において極めて重要な神社であったことがうかがわれる。
この八社は自らの領地の所有が認められたいわば別格社であった。(伊勢内宮、伊勢外宮、宗像大社、出雲熊野大社、日前・國懸神宮、安房神社、香取神宮、鹿島神宮)
蘇我氏は忌部氏の後裔であり、一族に武内宿禰もいる。蘇我氏というと仏教の印象が強いが、本来は社家である。
日本書紀によれば、神武から綏靖、安寧の三代の后は、事代主神の娘あるいは孫とされており、事代主神の後裔、又は非常に関係の深い一族と考えられるが、この時期天皇家は葛城地方を拠点としていた。それはすなはち忌部氏ということになる。
神武及び二代綏靖天皇の后には、「五十鈴」という名が含まれる。
事代主→忌部氏→猿田彦とは極めて深い繋がりがあると考えられる。
(写真:大麻比古神社の社紋)

