事代主は猿田彦の系譜かを考えるためのノート
神武から綏靖、安寧までの三代の后は、日本書紀によれば、事代主神の娘、あるいは孫であると書かれている。
神武天皇后 ヒメタタライスズヒメ(事代主神の長女)
綏靖天皇后 イスズヨリヒメ(事代主神の次女)
安寧天皇后 ヌナソコナカツヒメ(事代主神の孫 鴨王の女)
五十鈴とは何か?
伊勢の五十鈴なら猿田彦の印象。
猿田彦(五十鈴彦)は伊勢の五十鈴川に住す。
事代主が大国主の子でないことは間違いない。
事代主と賀茂氏とは関係がある。
宮中三殿に八神殿(現在は神殿に合祀)があるが、八神とは天皇を守護する八柱の神々である。天皇守護という観点において最も重要な神々であることは言うまでもない。
八神とは、
神皇日神
高御産日神
玉積産日神
生産日神
足産日神
大宮売神
御食津神
事代主神
であり、実在の人格を持った神という意味では事代主神のみがそうである。他は変化神のような神々。
以前からこれが非常に気になっていた。
事代主の本宮は出雲の美保神社である。
事代主が素戔嗚の子であると感じたこともある。
しかし、事代主は本当に出雲にいたのか?
出雲国譲りの時、タケミカズチはオオクニヌシに国譲りを迫るが、事代主に聞いてくれという。
このオオクニヌシの存在感の希薄さは何か?国主であるはずだがこの無責任さは何を意味するのか?私にはこの神は何か置物のような印象でしかない。
出雲に佐太神社がある。出雲神集いの祭儀(神在祭)が行われていた場所として最古と言われているが、神殿は横並びに三殿あるが、
正殿
佐太御子大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命の五柱。
北殿
天照大神及び瓊々杵尊の二柱。
南殿
素盞嗚尊及び秘説四柱の計五柱。
(Wikiより)
となっており、神殿後方の山にイザナミの御陵があるとも言われている。
佐太御子大神とは猿田彦かあるいはその末裔であろう。
南殿は素戔嗚系であるが秘説四柱とは?
神武から綏靖安寧までの三代は、葛城地域において、事代主系列の姫が后となる。
なぜ事代主の系譜が大和にいいるのか。
古事記では事代主ではなく大物主(饒速日)の娘が神武天皇后 ヒメタタライスズヒメであるとなっているので、事代主ではないということになるが。
しかし、五代孝昭天皇の代からは古事記、日本書紀共に物部氏系列の姫が后になっている。
神武から四代懿徳までとそれ以降では宮址にズレがあることから、一貫して物部氏系列の后であるとは言い難いという説があるが確かにそういう気がする。
十代崇神天皇以前の段階では、天皇家は大和地方の一勢力であったと考えられる。
しかし、
大物主(饒速日)と事代主、猿田彦との関係はどんなものか?

(写真 佐太神社 美保神社)

