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豊臣秀吉の朝鮮出兵の真意~日本と朝鮮半島の関係史についてのいくつかの基本的な知識

平成30年10月13日 日本史
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今年対馬に行ったついでに、釜山まで行った。船でたった一時間だった。対馬の北端の比田勝という小さな漁港のような港から、釜山行きの船が出ている。

比田勝付近に鎮座する鎮守の神社の一つ、那祖師神社(なそしじんじゃ)には、スサノオがここから朝鮮に渡って事業を行った(三韓往復の拠点であったという)という由緒が書かれていた。

たしかに、対馬と朝鮮半島は目と鼻の先である。

釜山に行くと、毛利輝元が築城した石垣(釜山鎮支城石垣)が今でも残っていて、ちゃんと日本語で解説板があったのには驚いたのだが。

それはさておき、秀吉の朝鮮出兵と言えば、自分の若いころ教わった知識では、武将に分け与える所領がもうなくなったから的な話。晩年の秀吉は頭がおかしくなっていて、あれは「御乱心」なんだとか。結構ロクでもない理由が多かったように思うが、そんなものかと思ってあまり深くも考えなかった。

しかし、西国大名の大半が出兵に駆り出され、それゆえに戦力及び人心の疲弊が激しく、結果、関ヶ原では、出兵にほとんど関わらず戦力を温存できた徳川家康に敗れたんだという話などもからめて、秀吉は随分無責任な行動をしたものだとも感じていた。

ところが、つい最近、秀吉の朝鮮出兵に関する新しい学説が聞かれるようになって、事実とすれば、むしろその方が理にかなっているのではないかと感じている。

当時の覇権国はスペイン。スペインには日本侵略の意図があり、その尖兵として宣教師が送られていた。

布教→国内にスペインの支持者を作る→軍隊を送って占領

これがスペインの侵略スキームである。これで世界を、特に南米はひどかったが、占領し植民地化を進めた。

天草四郎もポルトガル軍の支援を待っていたと言う。ところがオランダ軍艦の砲撃を受けて、西洋人が自分達を襲うのかと失望したというが。閑話休題。

秀吉はフィリピンがこのようにして植民地化された事実を知っており、同時に日本国内にいる宣教師が日本人女性を略奪して、奴隷貿易を行っていた事実に激怒した。これが禁教令の理由であると言われている。

一方、スペインの宣教師は、日本の軍事力に驚いた。当時の世界の鉄砲所有量は、日本が半分以上を占めていたというのだ。種子島でポルトガル人から伝わった鉄砲だったが、極めて短期間でそれを量産できたのは、当時では西洋以外では日本だけだったという。

「国王様。日本を軍事占領することはできません。」

宣教師はスペイン国王にそのように伝えた。

スペインは、明の征服をも目論んでいたが、宣教師は、日本に対して、明征服の協力を要請したという。

このような事実から、秀吉は明がスペインに征服され、大陸から明軍と共に日本へ侵攻されたら、大変なことになると考え、朝鮮出兵を決断したという。

この話を事実だとすると、正しい名称は、「朝鮮出兵」ではなく、「明出兵」だと言えるのではないか。

出兵が取りやめになったのは、当時スペインの国力に影がさしはじめ、もはや彼等がアジアまでくる余裕がなくなったことを見ての判断だと言う。

なるほど、これなら理に適う。

朝鮮南部は古代、日本人(倭種、倭人、出雲系種族)の領域であったとは言え、白村江の戦いがあった。その後、朝鮮出兵があり、明治以降の朝鮮半島への進出も含め、日本が海外に派兵する根拠は常に大陸からの脅威に備える意味があった。

戦後、マッカーサーが朝鮮戦争を指揮してはじめて、日本が明治以降なぜあのような動きをしたかの理由を理解し、米国議会で日本の大陸侵攻は自衛行為だったと証言したという事実もある。

戦後は日本の代わりに米国が同じ仕事を肩代わりする結果になった。

ちなみに、朝鮮併合は日本が軍事侵攻して半島を占領して支配したのではない。当時の朝鮮には、4つの選択肢があった。

① 清からの属国化を脱し近代化を進めて自立独立国となること
② 清の属国化を継続すること
③ ロシアと通じて日清を牽制すること
④ 日本と通じて清露を牽制すること

① に関しては維新以降の日本人の多くはそれを望んだが、結局そういう決意を国家としてできなかった。王朝は旧態依然とした清朝従属主義から意識を外に向けるだけの感性はなかったし、国民の中からその流れを変える勢力の誕生もなかった。

これは例えば、福沢諭吉の金玉均との交流史などを見るなどすることで想像できる。

金玉均は、王朝政府によって、肉体を文字通り八つ裂きにされて市中にさらされ、関係者他家族一族皆殺しにされた。墓は暴かれ破壊された。今も半島内に彼の墓はないはずである。

金玉均は、朝鮮を日本のような近代国家にしようと考え、日本に学び、福沢の自宅に下宿していた。金の凄惨な死を見、朝鮮や清の政情を詳しく見るにつけ、福沢はアジアに失望し、脱亜論に傾いた。

残る選択肢は、②③④である。朝鮮人が最終的に決断したのは、日本との併合であり、彼等にとっては苦渋の決断であったであろうが、彼等が選んだ道である。日清日露で日本が戦勝した以上、当時アジアで最強の日本に抗しないほうが良いという気持ちもあったに違いない。(事大主義)

しかし、もし②③を選んでいたら、いまだに半島全体は、中国かロシア領で、半島全体が現在の北朝鮮のような状態であった可能性もある。それを考慮すれば当時としては賢明な判断であったのではないか。

ロシアか清が日本との戦争に勝利していたら②③の選択肢をとっていただろう。

併合後、当時の日本人は威張っていたかもしれないが、社会としては日本人も朝鮮人も同じ日本人であり、日本は本土以上の資金を注ぎ込んで半島全体を整備したのはまぎれもない事実。

バランスシートから見れば、搾取どころか、日本は大赤字である。

しかし日本人が彼等に謝罪しなければならないことがあるとしたら、それは日本が戦争に負けたことだ。それによって結果朝鮮戦争が起こり国が分断された。そして韓国が「反共の砦」として戦後、日本の代わりに厳しい国際社会の荒波の中を生きることを強制されたのは事実である。

一方で、彼らが、日本人に悪意を向けるのは、彼等の体質的な面もあるだろう。戦後の支配者の歴史をみてもあきらかなように、権力者が変わると新しい権力者は旧権力をことごとく断罪する。歴代の韓国大統領はほぼすべて、暗殺、刑務所行、自殺、家族一族刑務所行である。ほぼ例外がない。

小泉さんが首相を辞めて安部さんになったら、安部さんが小泉さんを刑務所送りにするだろうか?韓国ではずっとそうなのだ。日本人には考えられないが。

だから、彼等にとっては日本は「旧権力」の象徴という意味で恰好の断罪材料である。そういう彼等の慣習的性質から日本を国家として断罪している面もかなり大きいだろう。

日本人と交流する韓国人・朝鮮人はこのような事実をしっかりと把握して、日本に対して好意的な人もいる。

しかし、人口比率からして圧倒的に少数派であることを日本人は認識する必要があるだろう。彼らが好意的であるからと言って、半島全体がそうなるなどと考えると判断を誤る。ただし、日本が圧倒的な強国になった場合には態度が変わるだろう。

もちろん個人交流と国家交流は次元が違う。ここでは個人交流の話はしない。

最後に話を戻す。

秀吉もまた、国際社会を見据えての朝鮮出兵であったという説に関しては今後さらに研究が進むことを望む。

それは同時に日本と朝鮮半島の関係史を考える上でも良い影響があるだろう。

(写真:一枚目 対馬那祖師神社、二枚目 同由緒、三枚目釜山鎮支城石垣、四枚目 同解説板)

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