文明は宗教を軸にして成立する
では非宗教の現代を経て再び宗教は勃興するのか?
先の文章で「文明の構造」であるとして諸宗教の構造を書いたが、あれは単に宗教的構造を語っただけではないかという人もいるだろう。
しかし、世界史に登場する文明のほぼ全ては宗教的な価値観を軸にして成立している。
文明誕生の軸は宗教にある。
日本人、あるいは現代人が文明という概念について考える習慣がないことは、宗教的なものへの忌避感があるのかもしれないが、人類史を考える上で避けて通れないのが宗教的価値体系ということであろう。
そのようなわけで、旧文明の構造を宗教的なスタンスで紹介したのだが、宗教的な価値体系を軸に誕生した文明である以上、そこから生み出される、政治、経済、思想、哲学にいたるまで「その軸足」を無視することはできない。
従ってあの図(図1)は近代思想や経済、政治、思想に至るまでそれを読み取るためのヒントになるだろう。
しかし例えば、西洋思想には、ギリシャ・ローマの伝統が背後に眠っているのでそれが時折頭をもたげることはある。
では宗教は人類史における絶対必要条件であり、今後も再び宗教の勃興はあるのか。
ここ2000-3000年の間に発生し発展したような宗教的な形態が復興することはないだろう。
それはわかりやすく言えば「信仰」という形態の終焉を意味する。
では何が起こるのか。
わかりやすく言えば、「コミュニケーション」あるいは「交流」という言語に置き換えられるだろう。
信仰には強制力とそれを補完するための教義が厳然と存在する。
人が崇高なものとコミュニケートする上で、もはや「拘束具」は必要ない。
ところが神道にはもともと拘束具は存在しないのである。

