「禁秘抄講義」を読む(8)大刀契とは? 大将軍の守護剣
大刀契(だいとけい)とは、天皇にとって、三種の神器の次に重要な宝器であったが、南北朝期に失われたと言われている。
禁秘抄の記された時代は、鎌倉時代であるから、まだそれらが存在したことになる。
三種の神器の劔(剣)以外にも、それに次ぐ宝劔と言われるものがあり、御璽印璽以外にも割り印のようなものが存在していた。
以下、
「大刀契」(1)
大刀契とは、一つのもの、又は二つ対のものの両説があるが、本来は、大刀と契の二種があった。まず大刀とは、禁秘抄の本文に書かれている通り、護身の劔(剣)と闘戦(戦闘用に使用する)の劔(破敵剣とも言う)とのことを言い、契とは魚契とも言って、契符(割り印のようなものか)のことである。
年中行事秘抄には、大刀契について、契は七十四枚、皆魚形で背中より分かれていてそれぞれ銘がある。長さ二寸(約6cm)ほどで、金銀及び銀塗物の三品ある、と記されている。
桃華蘂葉(とうかずいよう)にも、この契符を三つの袋に分けて入れ、大刀を納める唐櫃の中に一緒に入れて、天皇行幸の時には、近侍の者がこれを持ち運ぶのだと書かれている。
諸説には、契は印璽と同義であろうとの記述もあるが、禁秘抄「賢所」の段に、大刀契と鈴、印が別々に記載されているので、契と印璽とが別ものであることは明らかである。
そもそも、契は、大刀とともに、一つの櫃に納めて、これを大刀の唐櫃とも、大刀契の唐櫃とも申し上げるので、当時においては、一物のように思われていたのであろう。
大刀について、禁秘抄では、大江匡房が書いたものをそのまま記載しているが、以下の通りである。
宮中には、長さ三尺(約90cm)あるいは、二尺のものがある、全部で十口ある。その中の一つは、背に銘があり、北斗の星影と、左に青龍石に白虎が彫られている。それ以外の劔(剣)には見られない。
これはかねて百済より渡来した二劔のうちの一劔か。二劔というのは、日月護身の劔と三公開戦の劔のことである。この他に節刀がある。
節刀とはそもそも、将軍出征の日、天皇より授けられる刀で、これを授けられたら家には戻らず、凱旋の日にこれを奉還してから、家に戻るのである。軍防令義解に書かれている。
青龍が彫られていることに関し、これは唐の時代の法制書六典で言われているところの傳符ににている。大将軍を派遣する時に、節刀として用いるものであろうか。
藤原実頼の孫通俊が言うには「長徳の連署」と言って、第六十六代一条天皇の長徳三年(997年)五月二十四日に、安倍晴明を宣陽殿に召して、御劔のことを問われた際の、二人の連署のある勘文(調査報告書のようなもの)には、これを節刀とは書かずに、ただ大刀としたという。
これについて、大江匡房がこの連署の文を探したが見当たらなかったという。
(写真:各種宝剣図 故実叢書. 本朝軍器考 集古図説より/七星剣 四天王寺蔵wikiより)


