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「禁秘抄講義」を読む(10) 宝劔神璽 古代宝劔は三劔あった

令和元年7月3日 日本文明・神社・神道
「禁秘抄講義」を読む(10) 宝劔神璽 古代宝劔は三劔あった
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かつて日本には統治王と祭祀王があり、ヒミコとは祭祀王であった女性の名称であったという。女性がなれば国が安定し、男性がなると乱れた。倭国大乱と一般的に言われている時代には男性が祭祀王であった時代だと。

琉球では、統治王は国王で、祭祀王は聞得大君と呼ばれた女性であった。琉球のこのような形態は日本の古代における国の在り方に似ており、それは、日本から伝わったものであるとか、もともとあちらにあったものがこちらに伝わったとか説はある。

しかし、神武の故郷の日向地方は今の鹿児島県を主とした地域であり、鹿児島県南さつま市の野間半島は瓊々杵尊の上陸地だという説がある。(笠狭宮)

薩摩半島にも対岸の大隅半島にも瓊瓊杵尊に関わる史蹟は多く、霧島地方を含め、この地域一帯が神武(神日本伊波礼琵古命)一族の起源であることは間違いない。

だとすれば、その一族が琉球方面から上陸したとも考えられる。

しかし、私の考えでは、琉球及び鹿児島一体(台湾から奄美まで含む地域、及び九州鹿児島地域一帯)に同一文明が存在し、それらは、さらにハワイ、ニューギニア、オセアニア地域にも拡がっていたものと考える。

俗に「ムー」と言われるものだ。それはさらにマヤ、アステカ、エジプト、シュメールへと繋がるだろう。

日本はその文明圏の中で国家単位で今にその姿を残す唯一の場所であろう。超古代文明を唯一国家として、文明圏として残している。それが日本文明の真の姿である。

さて「禁秘抄講義」本文

「宝劔神璽」(3-1)

宝劔(剣)神璽は、賢所の宝鏡と併せ、三種の神器と呼ばれ、天皇にとって、最も重要な宝物である。その伝来が禁秘抄に記されている。

《御劔、神代の時代に三劔あった。その一つがこれである。他の二劔のいわれはいろいろあるが詳細は略す。一剱については、崇神天皇の御代に模造された宝劔を真の御剱のように宝物として伝えることになった。平家壇之浦合戦の際、海中に沈んで以降、二十年あまりの間、清涼殿の日の御座(ヒノオマシ)の御劔として備えおかれていたものを、宝劔に代用された。》

「三劔」については、階梯によれば、一劔は天叢雲劔(あめのむらくものつるぎ)で、後に草薙の劔と言われて、尾張熱田神宮に祀られている。

別の一劔は、天十握劔(とつかのつるぎ)として、素戔嗚尊が身に着けていたものであり、石上神宮に祀られている。

さらに別の一劔は、高庫劔(たかくらのつるぎ)と言われ、味耜高彦根神(アヂスキタカヒコネ)が身に着けていたものが、熊野にある。

叢雲の劔は、素戔嗚尊がヤマタノオロチの尾より取り出したものを、天照大御神に奉ったものだが、天孫降臨の時、この御剱と御璽を宝鏡に添えて瓊瓊杵尊が賜ったもので、崇神天皇の時代まで、宝鏡と共に、天皇と同床同殿に奉安されていた。

しかし第十代崇神天皇はこれを畏れ多く思われて、別の模造の劔を造られ、他の宝器と共に、宮中に安置し、神剱は、一旦伊勢に遷し奉安された。

その後、第十二代景行天皇の時、皇子日本武尊は東征において、伊勢神宮を参詣した。ヤマトヒメノミコトは、当時の斎宮であらせられたが、護身として天叢雲剱を日本武尊に授けた。その後故あって尾張の国の建稲種命の家に置き、都へ向かわれたが、それがそのまま尾張の熱田に宮造して祀られることになった。

壇之浦合戦で宝劔が沈んで後、第八十二代後鳥羽天皇から第八十四代土御門天皇承元の末頃(1210年前後)までの間は、神璽を先として、御劔を次のものとして祀られた。

(写真:熱田神宮)

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