平等と言う理論は、西洋文明が生み出した一つの価値観である。それは、彼等の神が一つしかないから、一つの神に人が関わりあう上で、人が作り出した、「神と人とのかかわり方」の理論である。神と人が一つの神に一対一で関わる以上、その有り様は平等(みな等しい)というより他ない。
その考え方自体には問題はない。
しかし、現代に至り、その考え方はより広範なものになり、一神教徒であれ多神教文明の我々日本人であっても、あたかも絶対真理の如く受け入れられるようになった。しかし、この考え方には大きな矛盾がある。私に言わせれば理論が暴走している。
ここで難しい理屈を長々と述べるつもりはないが、要するに、人が何事においても平等だなどということは全くあり得ないということだ。
男女の問題にしてもそうである。男と女は生物としての生理的な役割が真逆なのに、それを力づくで平等などという。そんな考え方をするから、一層男女の確執が増し、憎しみと諍いが増していくことになる。
私に言わせれば、現代における、男女平等などという理論は、男女間の「階級闘争」の源泉でしかない。しかし、本来の趣旨は、男であれ女であれ、人と神とが直接関わる関係において差異はない、ということであったに過ぎない。
男女に関わらず人にはそれぞれ役割があり、生まれ持った能力の内容も質も違う。
日本文明においては、「平等」に代わって別の考え方を提唱する必要がある。というかそもそも別の世界観を持っている。
「人の八百万の役割に八百万の神々が見守る」世界観である。
財務官僚には財務官僚の神がいて、そこにいる人と業務を見守り司る。
医者や弁護士にもそれに関わる神がいて、そこにいる人と業務を見守り司る。
寿司屋には寿司屋の神がいて、そこにいる人と寿司という食の世界を見守る。
ヤクザ者にはヤクザ者を見守る神がいて彼等に寄り添う。
その他全ての仕事(役割)にはそれを見守る神々がいる。もちろん、人には、それぞれ由縁のある神、産土神、土地神、先祖霊神、自然神もある。
神には大きなものも小さなものもあるが、その世界のことに関しては例え何人と言えど、その神に敬意を以て接することになるだろう。
そこに人がいて、役割があり、それを見守る神がいる以上、その世界において、そこにいる神と、その神が見守る人に対して敬意を払うのは当たり前のことだ。
これに関連して面白い話がある。
秀吉の朝鮮出兵の際、戦国大名が多くの陶工を朝鮮半島から連れてきた。有名なところでは肥前の有田焼、伊万里焼などがあるが、薩摩焼や、長州の萩焼など、全てそうである。
彼等は明治になって、自国へ戻っても良いということになったが、誰一人として戻るものはいなかったという。朝鮮では、陶工はただの労働者に過ぎない。ところが日本では先生と呼ばれ芸術家として尊ばれたからである。
アジアにおいても、日本のような考え方が一般的というわけではない。シナ文明では、皇帝と官僚以外は全て被支配者という構造なのだろう。それは共産党政権であるはずの現代においても何ら変わることがない。
さて、以下「禁秘抄講義」本文より
宝劔神璽(3-2)
承元年間譲位の時(第八十三代土御門天皇から第八十四代順徳天皇へ)、伊勢神宮内宮一の禰宜成長という人物に霊夢があり、上洛して、内宮に奉安されていた御劔を宮中に奉ることがあった。(以上 「禁秘抄講義」を読む(10)の続き)
神璽とは八尺瓊勾玉のことであり、神代より変わらぬ宝物である。これは神皇正統記にも書かれており、第十代崇神天皇の御代にも、模造品は造られることなく、神代から伝わっているものであった。
平家壇之浦合戦の折に、安徳天皇と共に、宝劔と共に海中に没したが、宝劔はそのまま失われた。
神璽は海上に浮かんでいたところを、片岡経春がこれを取り上げたことが平家物語に書かれている。
この神璽の入った箱を「しるしの筥(はこ)」と呼ばれていたことが、紫式部日記や増鏡に書かれている。
筥の上部は、青色の平絹で裏打ちされたところに紫の糸で網のごとくに結ばれている。内侍がこれを持つ時、網のようになっている緒の下に指が入るほど緩ませておく。
神璽宝劔は、天皇の御殿、清涼殿の中、夜の御殿の御帳の中の御枕の二階棚の上に安置されている。覆い(箱にかける布のようなもの)は、打物といい、赤い絹を打って光沢を出したもので、内蔵寮という役所より調進するきまりとなっている。
(写真:硬玉勾玉 石上神宮HPより)

