宝劔神璽(3-4)
壺切の御剱とは、代々東宮(皇太子)の宝物である。この宝物については、諸説あるが、日本初の関白藤原基経(昭宣公)の劔であったが、第六十代醍醐天皇が皇太子であった時に、献上されたのが始めである。
それ以降は、立太子の毎に必ず献上されることとなり、今(大正期)もなおその通りの作法である。
この御劔はもと海浦(かいふ)の蒔絵、龍のような文様が描かれていたが、一度消失し、あるいは紛失して新たに鋳造されたとも、あるいは後に又元の御剱が発見されたとも言われている。
元来は東宮の護りとして、御側に置かれているものであるが、時折宮中に置かれることもある。これは東宮(皇太子)が定まらない間のことである。
延喜帝(醍醐天皇)から、皇太子保明親王にお渡しになる際、高藤内大臣の一男、定方少将が使いとなったが、その時に東宮から禄として大褂(うちき)を賜ったという。
大褂とはこのような用途に着用するために大きく縫って、男用にも女用にもなるように作られた礼服である。
(寳剱神璽 了)
(写真:壺切の宝劔 「立太子礼の話 : 皇国の光」より)

