京都平野神社の祭神は、今木皇大神というが、これは桓武天皇の母、高野新笠の祖神であり、高野新笠の父は百済系帰化人和乙継(やまとのおとつぐ)、母は土師氏出身の土師真妹(はじのまいも)である。
平野神社の祭神は四柱。今木皇大神、久度大神、古開大神、比売大神であり、久度神は竈神の守護神、古開神は斎火の守護神となっている。
今木皇大神、久度大神、古開大神はそれぞれ渡来系神々だとされている。百済系、あるいは東漢氏系とする説があるが、今木とは今来漢人のことであり、新漢人ともいわれるが、朝鮮経由の漢人の可能性が高くこれに由来した神々であろうか。
第二十一代雄略天皇の時代頃に「新漢人」として記されている渡来氏族であるから、その頃の流入であろう。
以下、「禁秘抄講義」本文。宮中の宝物の一つ竈神について。
竈神(そうじん)(6)
これは神代から伝わる三足の釜である。三釜あり、「平野」「斎火」「庭火」とそれぞれ名付けられている。内膳司内に安置されている。
その中で「平野」「庭火」の御竈は、第六十六代円融天皇の永観元年(983)十月一日盗み取られたことが、九代略記(日本紀略)、増鏡などに記されていることから、禁秘抄に書かれている竈は、忌(斎)火のことであろう。
《天皇が地方の内裏などに移動される時、中納言以下の者がこれ(竈神)を供奉する。霊物として扱われているからである。女房はこの釜の湯を使うことを憚らず、男子は天皇以外は、沐浴などに用いてはならない。》
この釜(忌(斎)火)は、四五箇所破損が見られ、鋳直されている。
(竈神 了)
【禁秘抄とは】
禁秘抄とは承久の院宣の件において、佐渡に遷幸(配流)された順徳天皇が、佐渡以前に天皇(宮中)の有職故実に関して記載したものである。
本来は、後代の天皇に宛てて著したものであるが、現在の天皇家を巡るさまざまな状況を見るに、国民自身が、天皇とは本来どのような御役割をもつものかについての知識を得る上で有意義な文献である。
禁秘抄とはもともと、建暦御記と言われていた。建暦帝御記という意味である。しかし、足利時代頃から禁秘抄と言われるようになった。もともとあまり知られることのなかった書物で和学を行うものでも知らぬものがあったという。
この書は、建保六年(1218年)頃より承久三年(1221年)初めころまでのおよそ三年から四年の歳月をかけ、順徳天皇によりまとめられたものと考えられている。完成は、天皇が譲位し、承久の院宣以降、佐渡に遷幸(承久三年五月)される直前までの期間にあたる。
(写真:平野神社 『京名所写真帖』 明治36年刊より)

