キリスト教信者の方と話をしていると、キリスト教が終末思想に基づいた宗教であるとは思っていない人が多いのではないかと感じる。米国などではどうかわからないが、日本ではそうである。
教会はその国や国民や民族種族の性質や気質に応じて布教の仕方をかなり綿密に計画するので国によって信仰の在り方が違うのかもしれない。
ユダヤ教もキリスト教も明らかに終末思想の宗教である。信者はそのためにのみ信仰していると考えても言い過ぎではないだろう。
終わりの日、最後の審判が下され、キリスト教の神を信じたものは永遠の命を与えられ、そうでないものは地獄に落ちる。ユダヤ教はさらに過激な終末救済の思想である。
本来ユダヤキリスト教というのは、今風に言えば相当に「カルト的」な思想であってそれが時間とととにソフトなオブラートに包まれたと考えるべきであろう。
イスラム教もまた、ユダヤキリスト教の系譜に連なる宗教である以上、「終末思想」の概念は存在する。救世主が違うだけで信仰の基本的な構造は同じ。最後の審判も存在している。
「キリスト教は愛の宗教です」
と思われているが、それは終末に向かって人々を救うために、己を捨てて「救済」すなはち、布教しろということに相違ない。救済されない者とはキリストを信じない者だからだ。
ユダヤ・キリスト・イスラムの三宗教の影響下に、全世界の半分以上の人口が含まれる。一般的にこの三宗教を信仰しているあるいはその文明圏の中にいる人々の人口は世界人口の半分を越えている。
彼等にとって「終末」は必要なものでありなくてはならないものだ。その時に救われるために数千年もの間信仰しているのだから。
日本人にはこういう発想が存在しないので、わからないと思うが、全世界人口の半分の人々には、このような思想が、彼等の潜在意識、深層意識あるいは霊的世界の中に存在するということを知るべきだろう。
「それは起こらなくてはならない」
ということだ。
そして、今現在が「その時」に直面している可能性が極めて高いということ。それが我々の生きている間に「完了」するのかどうかまではわからないけれども。
「災厄は外側からもたらされる」
のである。
さながら中共は彼等にとっては「悪魔」ということになるのかもしれない。時間とともに憎しみが増大する可能性がある。
日本文明はこれらの「当事者」ではないが、その影響を何等か受けることにはなるだろう。
そういうことを心の片隅に入れておきながら、世界の状況を俯瞰して見ていく必要がある。
ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の天井画には、ミケランジェロによる「最後の審判」が描かれている。
(写真:システィーナ礼拝堂天井画 wikiより)

