佐渡 大膳神社
当神社は元、この地域の産土神として御食津大神を祀る御食神社であったとされる。
鎌倉時代後期に、日野資朝の子、阿新丸(くまわかまる)が、佐渡に配流された資朝に面会しようと佐渡をおとづれたが許されず、父資朝は刑死した。その無念を晴らそうと城主本間山城守の弟三郎を斬った。
その際、当神社の別当である大膳坊賢栄は阿新丸に、真の敵は鎌倉にあり、本間ではないと諭したもののあまりの孝心に感銘し阿新丸を助けた。
大膳坊は、激怒した城主山城守に処刑されたが後、山城守に非常な後悔と畏れの念が起こり、その御霊をこの神社に祀ったという。
神社名はこれに因んだものであろう。
この地で幕府によって処刑された日野資朝の御霊も合祀された。日野資朝はもと北朝に仕えていたが後、後醍醐天皇に従ったことで佐渡に配流され、元弘の変の時当地で処刑された。(元弘2年/正慶元年(1332年))
日野資朝の御霊は、この他、承久の御事(一般に承久の変という)に佐渡に御遷幸なった順徳天皇をお祀りする真野宮、奈良県吉野に後醍醐天皇をお祀りする吉野神宮にも合祀されている。
尚、同神社境内にある能舞台は有名。(四所の御能所)
上皇・上皇后両陛下はこの舞台で、当神社所縁の能「檀風」を御覧になった。
「檀風」は上記、日野資朝と阿新丸との件に関わる謡曲。この曲では、梅若(阿新丸)は日野資朝と顔を合わせた後に三郎を討ったということになっている。
(写真 大膳神社と能舞台)





