表層的な自我の意識やその先に存在する本当の存在意識について数学者の岡潔は実に明快にそれを示す内容の文章を書いている。
「私は数学の研究を天職にしているのですが、私が研究しています時には、かような「自分」は全く意識していないのです。数学の研究ぐらいで消えてしまう自分が本当の自分であるはずがありません。かような自分を小我といいます。」
(「愛国」岡潔 夜雨の声より)
小我というのは仏教用語であるが、これは要するに表面的な自分=自我(表面意識)のことであり、仏教用語でこれに対する言葉に大我がある。
岡潔はこれを大我というよりは「真我」という言葉を使っている。
これは仏教用語というより、私は仏教以外のインド思想からこの言葉を知っている。
岡潔のたとえ話は実に素晴らしく、大いに参考になる。この感覚を覚えておけば「我を忘れる」ことなく真我への道を辿れるはずだ。
何かに集中して通常の「自己」を喪失している時、知覚できる自分というものがある。
実はそれは個とか孤といったものとは別物で大いに繋がった世界である。
それを見つけたならば、その場所のどこかにうっすらと穴が開いているはずである。
その先を見るようにする。その先をさらに辿るのである。
そこに神々と接触できるエリアがある。
そこに神々がいるかどうかは分からないが、直にその世界を接触できる場所である。
瞑想や内省的な活動をしている人はこの話が理解できるだろう。
全くそういう活動をしていない人は何を言ってるのか分からないかもしれない。
しかし、興味あれば挑戦してみてはどうか。その気になれば誰でもできる。
こういうことがわかるようになると神々の世界などへの認識が全く変わるはずである。
岡潔は湯川秀樹や朝永振一郎など日本のノーベル賞受賞者達の師でもある数学者ということだ。
彼のいう数学のことは全く分からないが、彼の日本文明に関する記述は非常に素晴らしい。

