先の文章(全体調和的価値体系)で、
「全体調和的価値体系というのは、人間社会とそれを構成する個人、さらに人間社会を支える諸要素、例えば、各種の生物や植物など生態系全体を構成する生命環境と、さらにその全体を包み込む地球という球体の環境要素の全てを総覧する価値体系の調和のもとにさまざまな価値体系を決定する体系」
と書いたが、この価値体系は、スウェーデン人のグレタ少女の唱える環境主義とは違うし、かつて欧米で流行したネイチャリズムとも根本的に違うことをまず強調しておく必要がある。
これらは、地球環境を阻害し破壊するものを何か特定し、それを糾弾し駆逐することで理想の社会に向かうというひとつの「主義」に立脚している。
あるいは、現代の科学文明を否定し、原始的な自然との共生生活を送ることを「善」として生きる「主義」に立脚するのがネイチャリズムにおける重要ファクターであろう。
全体調和的価値体系は、何か特定の問題を抽出してこれを諸悪の根源に規定し、これを徹底的に糾弾し駆逐することで何かの理想が実現されるという思想ではない。
これらは、全て一神教的なユダヤ・キリスト教的な価値体系に立脚し、派生的に誕生した価値観である。二律背反、二元論からの一元化という思想。
全体調和的価値体系においては、全ては「部分」であると同時に「一部」であるが、それらはおのおの「自立」し「尊厳」を有しているが、それらの持つ「尊厳」が全体の中で絶対的な優位性を主張するものではなく、あくまでも全体の中における「部分」としての役割と尊厳の中におさまりながら調和収斂(しゅうれん)していく、という価値体系に立脚している。
日本の神々には大きな神様もあるし、小さな町にひっそりと佇む神様もいるが、そのどれもが同じように尊ばれ敬われていることと同義である。
ある人にとっては、その小さな神様が一番重要な神様である場合もある。一神教の世界ではありえない有様どぁろう。
人それぞれに重要な要素は違っているということ。それを認めつつ相互に調和し場合によっては関係を深め、互いの価値観を発展させ、社会を増進させる。
ここが全体調和的価値体系の「核」となる価値観であり、ここを誤ると根本を誤る極めて重要な要素であることを強調しておかなければならない。
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