一般に全体主義と言うのは、ある一つの価値意識や特定の支配者の意思に従って人間社会を個人レベルから統率糾合する独裁社会のことを指すが、これとは違う。
全体調和的価値体系というのは、人間社会とそれを構成する個人、さらに人間社会を支える諸要素、例えば、各種の生物や植物など生態系全体を構成する生命環境と、さらにその全体を包み込む地球という球体の環境要素の全てを総覧する価値体系の調和のもとにさまざまな価値体系を決定する体系のことを言う。
この場合、人間はone of themに過ぎない。我々は人間だから当然プライオリティーは一番高いものにはなるが絶対ではない。
とはいえ、この考え方は要するに人間それ自体をも一部に含めた「俯瞰的視点」による見方である。
現代の科学者や知識人や各種の支配者の唱えるさざざまな価値意識は凡そ人間の都合で唱えているものが大半であろう。
日常生活の中で人が物申すことの大半は、人間の都合、さらには個人の都合の集合体で構成されているに過ぎないが、それは全体調和適価値体系の中では部分に過ぎない。
このような視点から、人間社会全体とその価値体系から一般通念に至るまでを再構成することがこれからの人間社会に必要な要素になるだろう。
このような価値体系は、ユダヤキリスト教的な西欧の一神教文明からは起こりえない。
彼等は唯一の神とその神から与えられた地球環境の支配者であるという構造から全ての価値を生み出してきた。
人間の都合が地球環境の中において最優先される価値体系の中からは、全体調和的価値体系が生まれ出る萌芽それ自体が存在しないからである。
この考え方は、日本文明において極めてシンプルな「八百万の神々」とその周辺に生きる人と自然との調和的環境によって、自ずと産み出されるものだ。
人も個人もone of themの中にいて、神々の意思と調和する環境の整備。
これが次の文明の価値体系を産み出す上で極めて重要な要素になる。

