憲法を甘く見てはいけない。憲法の意志は人と社会に浸透する。
普段、私達が生活していく中で、憲法というものの存在を意識することはほとんどない。だから、別に憲法なんて自分たちにはほとんど関係ないと思う人もいるだろう。
しかし、国の社会システム、さまざまな法規、法律、地方自治体の条例のようなものにいたるまで、それらを制定する人々にとって憲法は、全ての起点になる。
官僚や政治家、地方自治体の役人、司法に関わる人々。これらの人々が社会を運用し、律する上で憲法は常にその基本となるものであり、自ずと「肌身離さずにいる」ものとなる。
彼らの思想や目的、意志などとも関係なく、彼らの業務遂行上、原則的、あるいは自動的、決定的に影響するだろう。もちろんメインストリームのメディアの報道姿勢にも大きな影響力をもつはずだ。
最終的には、その基盤の上で生活する一般国民の価値意識や生活習慣において、それを意識するしないに関わらず、かなりの程度、場合によっては決定的に規定することになる。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」(日本国憲法前文より)
あまりにも知られた日本国憲法の前文である。これもよく言われる話だが、この文章には主語が日本国民にない。作成したのが日本人ではない(戦勝国民が敗戦国民に対して書いた)のだから当然かもしれないが。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」
我々日本国民は、平和を愛してやまない日本以外の国々の人々の美しい理念と意志のもと、彼らが務めて願う「平和なる国際社会」に参加できることを「願わくば」心より願っております。またそのように決意いたしました。
この前文では、日本国民は、そのような存在として規定されている。
日本のメディアが常に自国のことを主として主張せず、他国の事情ばかり気にする姿勢そのものではないだろうか。さまざまな自治体の姿勢などともよく似ている。
この文章は、どのような意味においても、国際社会の中で日本という国家が何某かのイニシアティブを握ることすら否定する文章である。
日本国憲法上では、我々はあくまでも、素晴らしき人々のいる国際社会に参加させていただく身分に過ぎない。
これでは卑屈な精神が生まれ出ることも止むを得ない。まさに、「自己否定」「自虐」の文章である。我が国の自虐史観の原点はここに発するのではないか。
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」
聖徳太子が隋の煬帝に送ったとされる上記文書と比較しても真逆の発想だ。
第二次世界大戦中、主として欧州戦線に従軍していたユダヤ系の軍人ケーディス大佐が戦後日本の占領軍の中核としてGHQの民生局に赴任した経緯は定かではないが、それまで彼の心の中に「日本」という国家を認識することはほとんどなかっただろう。
彼にとって、日本という国家は、ユダヤ人にとって仇敵のナチスと同様のものでしかなかったのではないか。赴任して数年経過した段階ではある程度その考え方は変わったのかもしれないが。
彼の自伝あるいは、彼がどのような人物であるかについて論述した書籍がほとんどないので彼については分からないところが多い。彼についての研究書が出ることを望むところである。
日本についてほぼ何の知識も見識ない、一介の陸軍将校が、ほとんど憲法の知識もない他のスタッフ20名ほどと共に、さまざまな国の憲法や国際憲章などを引っ張り出してきて2週間で書き上げた「やっつけ仕事」。それが日本国憲法であるという事実。
かつて伊藤博文達が、日本という国家の行く末を願い、欧州各所へ自ら赴き、心血を注ぎ制定に至った大日本帝国憲法とは、その制定の過程には雲泥の差がある。
明治憲法制定後に、政治家の板垣退助が、この憲法が主としてドイツ憲法を模範として作成されたことを「ものまね憲法」と揶揄した。
それを明治天皇は、「自らが全身全霊を持って制定したものにそのような言い方をするとは何事か」と激怒したという。明治天皇が激怒したという話はこれ以外に聞いたことがない。
日本国憲法制定の過程で、当初日本側の草案も作成されたが、ほぼ完全に却下されGHQ案の日本語訳がそのまま日本国憲法として制定されたことは知られた事実である。
当時GHQの意向は絶対的なもので日本人は誰も逆らうことはできなかった。
文章には、それを作成するものの熱意や意志が乗りうつるものだ。
戦後日本における日本人の意識や精神活動、価値観などに対し、我々一般国民が考えているよりもはるかに大きな影響力を与えてきたもの。それが憲法であることを認識すべきであろう。
日本という国が抱える問題やある種の閉そく感について思うといつも最終的にこの問題にいきつくことが多い。結果、正しい憲法の制定は、日本という国家の命運に関わると私は確信している。
現代社会では、自らの憲法を所持した国々においても、不安定感があふれ、大きく揺らいでいることも事実である。しかし、このようなときに、日本人自身が自らの文明の優れた面を自覚して生きること、その生活基盤に自らの文明の要がしっかりと根付いていることは、結果国際社会にも計り知れないプラスの影響を与えることだろう。

