祀られる人は神か?
東郷平八郎は生前自分を祀ることはしないで欲しいと言った。だからあのように祀るのは良くない。
あるいは、人は神ではないから人を神として祀るのは間違いだ。
このようにいう人がいる。これは日本人的ではない。
日本の神々はおおよそもともと人格だ。そうでないものもあるし人格と神格が混淆したものもある。自然神もある。
日本の神々はその意味で幅が広い。
八百万の神々の世界は、人にも山川草木にも一切に神が宿る神の国だから、人もまた神の化身であり、あるいは神の宿木である。
その意味で人は誰しも「現人神」であるとも言える。
自らを神として祀って欲しいと伝えて実際に祀られたのは大国主命と徳川家康が有名だが他にもあるのかもしれない。
「人を神として祀る」ということは、ある人の死後、残された人々がその人の生前の御徳や偉大なる功績、あるいはその人格への親しみや愛情の念によって、死後も国家国土地域や子々孫々に至るまで守護していただきたいという思いから起こるものであり、本質的には祀られる本人の問題ではない。
時として、それへの畏れから祀られることもある。
いずれにしても、その人の死後も、その魂の「ある部分」「神的な部分」がこの世に留まっていただき、これを繰り返し鎮魂する事で、さらに盛大な神格・守護神となっていただくようお祀りするということだ。
いくら本人が祀れと言ったところで人々がそれを篤く祀る気持ちがなければすぐに廃れていくだろう。
神霊、人霊、自然霊。日本の神々の世界は複層・重層的で極めて豊かなものである。これ故にこの国は世界の他の地域に比べて人心が荒れず豊かな文明を築き得たのである。

