神に選ばれるということは大きな成果をもたらす一方、過酷な宿命や試練を背負わされることもある。
旧約聖書にはこのような歴史がつづられている。
彼らは神からメッセージを受け取るが、それになかなか従わない。民は、時に無視し、時に反逆し、時に怠惰に堕する。すると神は怒り、さまざまな苦難を彼らに与える。結局彼らは、国土、国家を失った。
それゆえ、彼らは彼らの価値観と一体感を維持するために、一つの神の思想である「聖書」をよりどころとした。あるいは、神にそのように仕向けられた。国家と土地をもたない民族が結束するには、神が複数ではいけない。
人は神に選ばれ、鍛えられる。
世界史、特に近現代史を見ると、社会の最も影響力のある人物の多くがユダヤ人であることは確実である。また、世界で最も影響力の大きなキリスト教、イスラム教の源泉にユダヤ教がある以上、この二千年の歴史の中で彼らがその人口比に照らして莫大な影響力を持っていたことは確実であろう。
書き添えておくが、この記述は差別主義とは無縁無関係である。
ユダヤ人が選ばれた民であるということは歴史的に見て間違いのない事実であると私は考える。
日本はどうか。
私は、日本とは、神々に「選ばれた土地」だと考える。
地震、台風などの自然災害。二度の原爆投下。福島の原発事故。
この土地には他の土地にはない、さまざまな過酷な試練が与えられ、鍛えれる。
しかし、鍛えられた土地は、それだけの成果と役割もある。
日本とは、聖書的世界観で表現すれば、「約束の地」と言うことだ。
この土地の風土から生み出されるさまざまな価値観や世界観はこれから世界に大きな影響を与えることになるだろう。かつての、そしてこれまでのユダヤ文明のように。
この土地に住む以上、この土地の風土になじみ、その要素を受け入れて生きていくことは価値あることだ。それだけの成果がそこに生きる人に与えられるだろう。
しかし、神々に従わない日本人はやがて、ユダヤ人のように土地と国家を失うようなことになるだろうか。
もし、そうなったとしても、日本人はユダヤ人のようにはならないだろう。
日本人は生来「その土地になじむ」性質がある。「郷に入れば郷に従え」の格言通り、その土地に行けばその土地の風土に溶け込み、なじもうと努力する。
このような性質は、他の影響力ある民族には見られない傾向である。
こういう民族は、国土を失った場合、跡形もなく霧消してしまう可能性が強い。
しかし、この土地の風土と生み出される価値観を抱きつづける気持ちを失うことがなければ、この地を失うことはないだろう。
そして、この土地に来た人々も、この土地の風土と価値観を観察し、それを身に着けることでさまざまな直感や霊感や生きる智慧を与えられる。それゆえに日本人となる。
もともと住んでいる我々を含め、選ばれた土地の価値観や世界観を体得した者こそ日本人となる。
選ばれたのは民ではなく土地だから。
この地に住む民はこの土地を侮ってはいけない。
選ばれるということはそういうことだ。

