京都の街には裏道を歩いてみると時折昔ながらの町屋通りが今でもかなり残っている。
ここは膏薬辻子(こうやくのずし)といわれるが、平安期は皇后を多数輩出した藤原公任の四条宮があったところだという。
また天慶の乱で討伐された平将門の首が晒された場所でもあるという。今そこに神田神社がある。
京都特有だが、町屋の屋敷の一角に神社があるというのがいくつも見られるがこれもその一つ。人家の入口のような場所に鳥居がある。 将門の首が晒された後、日本各地で天変地異が相次いだため将門の怨念によるものと考えられた。
この神社は、踊念仏で有名な空也が自らの修行道場の一角に塚を建てて供養したのが始まりだと書いてあるがこの話を総合すると、将門の首が晒された場所に空也の修行場があったことになる。
同時に藤原氏の邸趾でもあった。由縁深き場所なのかもしれない。
この神社は、それ以前から小祠があったが、近年東京の神田明神より御分霊をお迎えしたようだ。
このような戦前の溝口健二の映画に出てくるような風情の神社は、今となっては京都ならではの風景だと言えるだろう。

